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2015年10月13日火曜日

山口二郎・中北浩爾編『民主党政権とは何だったのか-キーパースンたちの証言-』

民主党政権とは何だったのか――キーパーソンたちの証言
山口二郎・中北浩爾編『民主党政権とは何だったのか-キーパースンたちの証言-』岩波書店、2014

 民主党は、2009年8月末の総選挙で308議席も獲得、翌月に連立政権を樹立した。国民の大きな期待を受け成立した民主党政権だったが、その後、僅か3年少しの間に、事態は激変した。2012年12月の総選挙では、民主党は議席を一挙に57議席まで減らし、政権は再び自民党・公明党にと戻った。僅かな間に、日本国民は、政治的に実に大きな変化を体験したことになる。民主党に期待した多くの人々には、この短期間での変化が大きすぎて、現時点でも今ひとつ現状が掴めていないのではないかという気がする。実は私自身が、あの政権は何だったのか、あの期待と失望は何だったのか、どうも掴みかねていた。

 この本は、民主党のキーパースン12人にインタビューして、政権交代後の3年少しの政権の内実を、ある程度浮かび上がらせている。キーパースンには、3人の首相経験者が含まれている。インタビューの時期は、まだ政権が存続していた2012年5月から、下野した後の2013年11月の間であり、インタビューアーは、この本の編者を含めた政治学者たちだ。読んでみて分かるのは、キーパースンたちはそれぞれ、その時にはよかれと思い、一生懸命仕事に取り組んだのだということである。1人1人、反省を込めながら、当時の自分の状況認識と判断、行動を思い起こし説明している。何より、結果として失敗し退陣、そして下野したのだから、そこに反省が加わるのは当然とも言えよう。

  それにしても大変印象深いのは、こうしたキーパースンたちの間で、重要な事項についての共通認識がなされていなかったことだ。政権を初めて担当し、新たに政府を作るというところで、主要人物間の重要事項についての認識が大きく異なっているのは、今となっては驚きである。例えば、新政権の目玉とされた国家戦略担当局も、その役割の認識はばらばらだったようだ。その結果、政治改革を推し進める前提となる政治主導確立法案を、成立させる事が出来なかった。又、鳩山政権の退陣の原因の一つとなった沖縄基地問題は、内閣で殆ど認識が共有されていなかったことが分かる。首相周辺の人だけで動いて、内閣の他の閣僚は殆どタッチしなかったのだそうだ。

  更に鳩山退陣についても、後継となる菅さんは、鳩山さんの退陣の意図を、違って理解していたようだ。鳩山さん自身は、自分の政治資金問題が参議院選挙に影響するのを最も恐れて退陣、その際、同じ問題を抱えた小沢さんにも幹事長辞任を求めたと言う。ところが菅さんは、鳩山さんの辞任意図を、小沢さんが加わる以前の本来の民主党への回帰を求めているとみた。そこで、小沢さんを封じ込め、本来の主張として消費税増税をマニフェストに書き込む。その結果、直後の参議院選挙に大敗して、鳩山さんの辞任を無意味なものとしてしまった。そこから、鳩山さんの菅さんへの不信感が高まり、その後の党内対立や分裂にと繋がっていく。

  政治に関わるキーパースン間のコミュニケーションが如何に大切か、当たり前のことながら、深く思い知らされる。又、編者たちは、最後に総括として、政治の複雑さについても指摘している。政治は、目の前の個々人だけでなく、多くの社会団体、階層の利害に関わり、更に諸外国の利害にも関わる。個々人の意図の良さ、政策の素晴らしさだけでは、政治の複雑さに対応できない。編者たちの指摘通り、民主党政権への国民の過剰な期待、そして当事者たちの気負いや政治的未熟さが、あのような失敗にと繋がったのであろう。幻滅や失望に耐え、もっと漸進的で着実な改革を考えるべきという指摘は、心に残った。


政権交代とは何だったのか (岩波新書)  民主党の原点―何のための政権交代だったのか