ラベル

2015年1月26日月曜日

音楽編 働く男

 ユニコーンで定番の一つだったのが何かの男シリーズだったと思う。覚えているのは、働く男、輝く男、スターな男といったあたりか。特に働く男はサラリーマンの悲哀のような曲だったが、友人が好きでよくカラオケで歌っていた記憶がある。考えてみると、大迷惑もそんな感じの曲だったから、サラリーマンの気持ちがよくわかるバンドだったということだろうか。誰かがサラリーマンとして働いた経験があり、それをもとにしているのかもしれない。

  働く男は大変で、忙しいのだが親父がらみのコネもあるから仕事を辞めらない。彼女にも最近は会えずにいて、彼女の顔や声を思い出すこともできなくなりつつある。誰か助けてというわけだが、誰も助けてはくれない。大迷惑もそんな感じで、せっかく楽しく暮らしていたのに異動で僻地に飛ばされてしまい、どうすりゃいいのというわけだ。

 輝く男とスターな男は、あんまりサラリーマン的ではないかもしれない。輝く男は、神も仏も引き連れて、彼女を幸せにしてあげたいというポップな内容だし、スターな男にしても、実際には小さな世界のスターにすぎないが、それでいいじゃないかという感じもする。どちらもこの世界が思い通りにならないものであるという悲哀はあるが、そこまでリアルな感じというわけでもない。

 この手の歌を、当時高校生だった僕たちがカラオケで歌っていたのは変な話だ。一体どういう気持ちで歌っていたのだろう。単に楽しかったということだけのような気もするが、あれは自分たちの未来の姿だと思っていたのだろうか。それとも、自分たちは違うという意識のもとで、歌われている人々を笑っていたのだろうか。僕たちはまさに歌われる側の年になってしまった。

 輝く男はいう。久しぶりにきれいな人と話ができるよ。君のことはずっと前から気になっていたんだ。話ができたという点では幸せな話だが、久しぶりとはどういうことだろう。そこにいるのは、決して輝く男ではない。むしろ平々凡々なサラリーマンの姿だ。働く男と何も変わらない。もしかすると、同じ人物なのではないだろうか。働き疲れて所在ない日常の中で、ふと気になっていた女性と話す機会に恵まれる。ここぞとばかりに話しかけるわけだが、しかし30代にもなってがつがつというわけでもあるまい。柔らかく、何気なく、日常を装ってというわけである。

 日常の中にささやかな楽しみもある。面白いこともある。その瞬間をうまくすくいあげていこう。そんな感じだろうか。客観的にみればたいしたことではなくても、その人にとっては大事な一瞬なのである。

2015年1月19日月曜日

音楽編 29と30

ちょうど僕が大学生になったかならないころ、奥田民生は「29」と「30」というアルバムを出している。彼自身が29歳、30歳になったという意味だったと思う。僕よりも10歳ぐらい年上だということになるが、なんというか、当時はそんな年齢を考えたこともなかった。奥田民生にしてみれば、服部の世代になったなぁということだったかもしれないし、確かに僕自身30代に数年前になった頃、なんというかちょっと年を取ったなぁという感じがあったことも確かだ。

 「29」や「30」では「息子」とか「人の息子」なんて曲が入っていて、そういえば「息子」自体は僕が高校生の頃に出た曲だった。カラオケで歌っていた記憶もあるが、考えてみれば変な話だ。自分の親にでもなった気分で歌わないとつじつまが合わない内容だった。

  「29」と「30」は、実際にその年になったときに改めて聞こうと思っていて、実際に聞いた記憶がある。そんなに前のことではないけれど、29歳のときには僕はもう東京に出てきていたし、結婚もしていたと思う。子どもはまだいなかったけれど、どうだろう、奥田民生も大体そんな感じだったのではないだろうか。もちろん比べられるような身分ではないが、まあ人生ってそういうものかなと思ったような記憶がある。

  人の息子は、確か進研ゼミのCMソングとして採用されていた。設定としてはよく分かる話で、進研ゼミで頑張っている人の息子を応援するというわけだ。この気持ちも当時の僕にはわからなかったけれど、まあ今ぐらいの年になれば、何となくわかることもある。しかし曲の内容は思い出せない。

  30ぐらいになると、自分よりも子供のことに興味が行くのかもしれない。年相応という感じではある。一方で、音楽という点で言えば、そうした変化を嫌うような歌もたくさんあると思う。ブライアン・アダムスの18 till I dieなんて典型だ。死ぬまで18歳だぜというわけだから。ブルーハーツでも、似たような感じの歌を歌っていた気がする。

 奥田民生もアンビバレントで、一方で若さを示すような曲もあった。イージューライダーとか、それからさすらいなんて曲もこの頃だろうと思う。その他にもいろいろ曲が入っていたが、あんまり思い出すこともない。奥田民生でO.T.だからということで、○の中に+が入ったマークが書かれていたのを覚えている。単純だけど、なるほどねぇと思って真似してみた記憶がある。僕の場合にはうまく組み合わせられなかった。

2015年1月12日月曜日

音楽編 きっかけ

 僕は基本的に音楽に興味がなかったから、中学校時代にあったらしいバンドブームとは無縁だった。僕がこういう音楽を聴くようになったのは、多分高校生に入ってから、周りのみんながそんな話をするようになり、それからカラオケにみんなで行くようになってからだと思う。人前で歌うのもどうかと思っていたが、まあそれはそれで盛り上がって楽しい。歌を知らないことには何も歌えないし、間違って大きなのっぽの古時計でも入れられた日にはこいつは何だと思われてしまうから、いろいろとCDを借りて聞くようになったのだった。

 実際、そういえば、どこでだったか大きなのっぽの古時計騒動を聞いた。いつだったか平井堅二が大きなのっぽの古時計をリメイクして歌った時期があったが、そのころカラオケに行った友人がいうには、コンパかなにかで知り合った女の子がその大きなのっぽの古時計を選曲したのだという。みんなてっきり平井堅二の曲だろうと思っていたのだが、始まった曲はいわゆる昔のそれだったらしい。で、間違ったというのならばまだ話は面白いが、その方は大真面目でその曲を歌ったのだという。みんな手を叩いて伴奏しながらも、ちょっと凍ってたよということだった。

 まあそれはいい。そんなこんなで高校生の頃に音楽を聴き始めたということになるが、友人が好きで薦めてくれたのが、例のユニコーンのベストアルバム、ベリーラスト(ゴミ)オブユニコーンだった。その友人から貸してもらったかもしれない。

 これが新鮮で、というか多分新鮮かどうかもよくわかっていなかったわけだが、先ずはこれから覚えようと思った。may be blueとかかっこいい歌だなあと思ったわけだが、一方で変な曲も入っていて面白かった。
 
 変な曲の一つが「服部」だった。よく知られた曲ではあると思うけれど、30代の服部を歌った曲だ。20歳程度の若造なんか全然相手じゃないぜという話で、世界を独り占めだとされる。シングル盤のジャケットも印象的で、およそ若手のバンドらしからぬおっさんの顔写真がアップでのっている。後に、このおっさんのオマージュ?が氣志團でも用いられていて、「服部」はずいぶんインパクトがあったのだなぁと思った。

 ユニコーンや奥田民生はどことなくおっさんじみたところがあり、最初はビジュアル系バンドだったのかもしれないけれど、僕が知ったときにはなんというかコミックバンドという感じもした。ビートルズをベースにしているとその曲風は、多分僕がその後ビートルズを聴いてみる気になった理由にもなっていると思う。

 同時期にBOOWY等を知ったわけだが、ずいぶんと対照的なバンドだったと思う。個人的に親近感を感じたのはユニコーンや奥田民生だったわけだ。ようするに、そのころからおっさんじみていたということなのかもしれない。30代の服部の気持ちはわからなかったし、そもそも高校生だから20歳の気持ちもわからない。けれども、少なくとも高校生の気持ちもそんなになかったのだろう。BOOWYも好きだったけれど。

2015年1月7日水曜日

ジャパンクライシス


橋爪大三郎・小林慶一郎「ジャパンクライシス―ハイパーインフレがこの国を滅ぼす―」 筑摩書房、2014

 この本の議論の中心は、国の実態を知ることがごく少数の人だけでよいのか、という問題だと思う。実際、多くの富裕層が、今や海外に資産を移し始めているという。又、財務省や経産省などの官僚の中には、ハイパーインフレに期待する人もいるようだ。かなり危険な状態に日本が立ち至っていることは、今や間違いない。

 国債など国の負債が1000兆円を超えていることは、国民の間で、かなり知られているだろう。この金額はGDPの220%にあたるが、米国ではこれが60%、ドイツでは80%、イタリアでは120%であり、日本の突出が目立つ。問題は、国債が毎年増え続けていることだ。償還分が120兆円あり、予算の不足分とを合わせて毎年、合計160兆円発行している。政府の昨年の長期推計では、現状のままであれば、債務残高の対GDP 比は上昇を続けて2050年には500%を超える。しかし、300%を超えると国内の預貯金の総額を国債発行額が超えてしまい、海外の投資家の買い支えが不可欠となる。その場合は、国債の暴落は避けられない。そうなると、国債を多くかかえた銀行や生保が立ちゆかず、金融危機に陥る。又、日銀が国債を買い支えても、通貨供給量の増加によりハイパーインフレに陥る危険性が高い。そして、その時期は、10~20年後とみられる。 

 同じ政府の長期推計では、何らかの財政改革をして、2060年までに債務残高をGDP比100%にまで低下させるのに、毎年70兆円の財政収支の改善が必要だとされた。これは、消費税30%分にあたる。つまり、消費税をあと30%上げれば、50年後にはかなり財政が改善されるということだ。健全財政とされる対GDP比60%にするには、消費税35%をおよそ100年続ける必要があるという。財政健全化という言葉は、政治家やマスコミがよく用いる言葉だが、本気で取り組むなら消費税35%でも100年かかるということ。逆に言えば、それ以外の方法は、目先の方便に過ぎないということだろう。

 この本では、日本の財政について基本事項を確認しつつ、アベノミクスへの批判も併せて行っている。第一の矢である金融緩和については、財政問題を解決するために必要な時間かせぎという点では、望ましいと評価する。第二の矢は、財政出動により景気回復を目指すのだが、長期的には財政悪化になる。第三の矢は、成長戦略だが、財政が目に見えて改善するには、経済成長率が10%くらい上昇する必要があり、極めて難しい。アベノミクス全体に対しては、長期的な展望がないこと、政策の順番が間違っていることが指摘される。財政再建が進まないと、景気回復が難しい、というのだ。2010年にはアメリカで、公的債務が対GDP比90%を超えると経済成長率が大幅に下がるとする論文が出て、大きな話題になったらしい。まして日本では、対GDP比200%を超えているのだ。

 この本の認識は、消費税を35%に上げて100年掛けて財政を健全化させるか、それともある時突然ハイパーインフレに陥るかという選択が、今や我々に刻々と迫っているというものだ。ハイパーインフレになれば、国民の金融資産は失われるが、国の負債は殆ど帳消しになる。しかも、短期で決着するので、それに期待する人々もいるようだ。しかし、その場合のシミュレーションを見ると、余りに副作用が大きすぎる。それよりも、消費税35%の方がよいではないか、というのがこの本の主張である。消費税35%となっても、消費水準は1.4%落ち込むだけ、という試算もあるらしい。国民も、深刻な事態や切り抜ける道筋をきちんと説明されれば、理解が進むだろうというのが著者たちの考えである。


2015年1月5日月曜日

音楽編 阪神大震災

大学入試を受けた一年前、阪神大震災があった。ちょうどネット記事を眺めていたら、震災からもう20年経つらしい。早いものだ。祖父母の実家は神戸にあったから、ちょっと衝撃的だったことはよく覚えている。

当日は普通に授業があって、日本史の先生が神戸で大きな地震があったらしいと授業前に教えてくれた。ただこのあたりはちょっと記憶が曖昧で、地震があったのは明け方だったはずだから、高校に行く前に地震があったことは知っていたはずだ。すでに祖父母との連絡は取れた状態で高校に行ったのかもしれない。

とはいえ、気になることは気になる。そこで役に立ったのがラジオ付きだったウォークマンだった(但しソニー製ではない)。今では完全にMP3プレイヤーに取って代わられ、ラジオもまたあまり聞かなくなっているように思うけれど、当時は、まだまだ主流だった。特にラジオ付きのウォークマンは種類が限られていたけれど、イヤフォンがそのまま受信アンテナとして機能するというような話で、比較的使いやすかった記憶がある。

高校に行くときにはもちろんウォークマンで音楽を聴きながらいくわけだが、学校に行っても利用可能性は高い。授業中も服の袖にこっそり通して片耳で聞いていた。不真面目なと思う感もあるが、その方が眠くならないし、集中力も高まる。授業をラジオ代わりに内職するのは大学生の鉄板だろうけれど、ラジオや音楽を実際に聴きながら授業を受けるというのも、決して悪くはないと思っていた。

ラジオを聞いていると、地震の情報も適宜入ってくる。昼前に高校の玄関前(どうしてその記憶が残っているのかわからないが)で聞いていて、ずいぶんと規模が大きいことも分ったし、死者が多数という話もよくわかった。高校生としていえば、上級生がちょうど入試シーズンだから、神戸圏の入試はどうなるのだろうとも思った記憶がある。

その時、どんな音楽を聴いていたのかを思い出すことは正直難しい。高校生だから、奥田民生とか、ミスチルとか、そんな感じだった気はする。20年前に何が流行っていたのかを思い出すことは、20年前に何をしていたのかを思い出すきっかけになる。そして、その時別に何が起きていたのかについても、今から思い返すことができる。コネクティング・ザ・ドッツではないけれど、あのとき、それがどういう意味を持つのかなど到底見通すことはできなかった。けれども、今からならば、20年前の出来事がどのように偶然として結びつきながら、今に至っているのかを考えることができる。