ラベル

2015年12月16日水曜日

僕たちは調べるようになったのか

 帰宅ラッシュも一息ついた9時すぎの電車、仕事が終わりくたくた帰る僕の隣に3人家族が座った。僕の横には高校生ぐらいの女の子、その隣に40代後半ぐらいの母親、一番向こう側に父親。彼らは座席に座ると、それぞれ何かを話すわけでもなく、携帯を取り出してぼんやりと操作し始めた。

  電車が次の停車駅に止まったとき、女の子が少し高い声で母親に話しかけた。「ねえ、駅の名前って誰が決めるんだろうね?だって、麻布十番だよ。」

  ああ、確かに変わった名前だなと思いながら、僕はぼんやりと駅の表札を眺めた。考えたこともなかったな。一方の母親は特に興味もないようで、一言、小さい声で「そうだね」と相づちを打つと、相変わらず携帯を眺めていた。女の子もそのまま、何事もなかったかのように、電車が走り始めると持っていた鞄に突っ伏した。

  二つ先の停車駅で、母親が「ついたわよ」と女の子を起こす。電車が止まると、3人はそのまま降りていった。

  会話の真意を知ることはできない。女の子は何となくそう思っただけかもしれないし、何かもっと、電車に入る前にあった何かの会話の続きだったのかもしれない。それでも、僕がたまたま横で聞いて思ったことは、その携帯で、すぐにでも麻布十番駅の名の由来を調べればいいのにということだった。

  もちろん、女の子が自宅に帰った後、改めて検索をするのかもしれない。けれども経験的に言って、ふと疑問に思ったことは、そのまま忘れてしまうものだと思う。そうやって日々は過ぎていく。

  ネットや携帯の存在は、明らかに僕たちに多くの情報を提供してくれるようになった。グーグル先生に聞けば、なんでもわかるようにもなった。にも拘らず、と言うべきだと思ったのだが、僕たちはこの機能をあまりに使っていないのではないだろうか。使えることは知っている。時に使うことはある。けれども、もっともっと日常的に使えるし、また、使うべきではないのだろうか。疑問に思うことや、知りたいと思うことは山ほどあるのだから。

 まあ、余計なことではある。

2015年12月1日火曜日

國分功一郎『近代政治哲学-自然・主権・行政-』


國分功一郎『近代政治哲学-自然・主権・行政-』ちくま新書、2015。  

 この本では、ボダン、ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カントの政治哲学が解説されている。しかし、単なる教科書的な解説ではない。予め政治哲学という分野を前提して、そこに安住するわけにはいかない、と著者は冒頭で述べている。現在の政治体制は、近代政治哲学によって構想された。今日の体制に欠点があるなら、その欠点は体制を支える概念の中にも見いだせる。そこで、近代政治哲学者たちの概念を、改めて検討しようというのである。古典の読み方として、これは大切な視点だと思う。

 一方で、この本の中身は、著者が行った大学での授業が基になっているらしい。その際、受講者は初年次の学生であったとのことで、特に前提知識が要求されていない。そのため、政治哲学の入門書ともなっていて、大変読みやすい。基礎知識を得ながら、同時に現在の政治体制への視点も持てることで、政治哲学の入門書としても、大変役立つだろうと感じた。大学生だけでなく、間もなく有権者となる高校生にも、副読本として適切だ。

 取り上げられている政治哲学の概念は、自然、主権、行政などであり、それがこの本のサブタイトルになっている。そこで、自然概念について、少し取り上げてみよう。社会契約説では、自然状態の想定が話の出発点となる。ホッブズが、自然状態を「万人の万人に対する争い」と考えたことはよく知られている。ホッブズについての教科書的な説明だと、人々は争いが続く自然状態では生きられないから、自然権を放棄して代表者に委ね、国家を作ったとされる。その結果、一旦委ねた自然権を取り戻すことは出来ないから、ホッブズ理論は絶対王制を支持する理論となった、とされる。絶対王制の国王は、まさにホッブズの著書のタイトル通り、リヴァイアサン(神話上の怪物)だというわけだ。

 しかし、著者によれば、ホッブズの言う自然権は、好きなことを好きなようになし得る自由のことであった。自然権とは、「権利」という語感が与える印象とは異なり、自由という事実そのものを指している、というのである。すると、自然権は、物のように棄て去ることは出来ない。ホッブズの言う自然権の放棄lay downとは、実は自制を意味していると著者は考える。法によって禁じられた行為を我々が普通やらないのは、それが罰せられるからだ。しかし、罰せられるとはいえ、やろうと思えば出来るのである。そこから、著者は自然権は放棄できない、と話を進める。我々は、常に自然状態を、生きているからだ。もっとも、ホッブズの「リヴァイアサン」には、そこまでは書いていない。しかし、ホッブズの記述を辿ると、十分、成立する議論だと思う。ホッブズの自然概念は更にスピノザに引き継がれて、人々は自然権を適度に自制しながら社会の中で生きる、とされた。

 主権や行政についても、教科書的な解説から一歩進んだ斬新な視点が、政治哲学者たちの記述から取り出されている。主権について、執行権(行政権)が大きな影響を持つことは、スピノザ、ルソー、カントが特に問題視していた。例えばルソーの一般意志は、まさにその問題に関わる。著者に言わせれば、ルソーが直接民主制を主張したという通説は、見当外れだ。そして、最終的に、民主制という概念も、問題になる。実際、カントによれば、「言葉の本来の意味で民主制と呼ばれる形態は必然的に専制である」。カントの議論を追えば、確かに民主制は専制になる他ないと思われる。その一方、今日の議会制民主主義は、カントの分類では「共和的な貴族制」になる。では今日、我々が自明視している民主主義とは、一体何なのか。近代政治哲学を再検討する意味は、まさにそこにあるのだろう。

2015年10月13日火曜日

山口二郎・中北浩爾編『民主党政権とは何だったのか-キーパースンたちの証言-』

民主党政権とは何だったのか――キーパーソンたちの証言
山口二郎・中北浩爾編『民主党政権とは何だったのか-キーパースンたちの証言-』岩波書店、2014

 民主党は、2009年8月末の総選挙で308議席も獲得、翌月に連立政権を樹立した。国民の大きな期待を受け成立した民主党政権だったが、その後、僅か3年少しの間に、事態は激変した。2012年12月の総選挙では、民主党は議席を一挙に57議席まで減らし、政権は再び自民党・公明党にと戻った。僅かな間に、日本国民は、政治的に実に大きな変化を体験したことになる。民主党に期待した多くの人々には、この短期間での変化が大きすぎて、現時点でも今ひとつ現状が掴めていないのではないかという気がする。実は私自身が、あの政権は何だったのか、あの期待と失望は何だったのか、どうも掴みかねていた。

 この本は、民主党のキーパースン12人にインタビューして、政権交代後の3年少しの政権の内実を、ある程度浮かび上がらせている。キーパースンには、3人の首相経験者が含まれている。インタビューの時期は、まだ政権が存続していた2012年5月から、下野した後の2013年11月の間であり、インタビューアーは、この本の編者を含めた政治学者たちだ。読んでみて分かるのは、キーパースンたちはそれぞれ、その時にはよかれと思い、一生懸命仕事に取り組んだのだということである。1人1人、反省を込めながら、当時の自分の状況認識と判断、行動を思い起こし説明している。何より、結果として失敗し退陣、そして下野したのだから、そこに反省が加わるのは当然とも言えよう。

  それにしても大変印象深いのは、こうしたキーパースンたちの間で、重要な事項についての共通認識がなされていなかったことだ。政権を初めて担当し、新たに政府を作るというところで、主要人物間の重要事項についての認識が大きく異なっているのは、今となっては驚きである。例えば、新政権の目玉とされた国家戦略担当局も、その役割の認識はばらばらだったようだ。その結果、政治改革を推し進める前提となる政治主導確立法案を、成立させる事が出来なかった。又、鳩山政権の退陣の原因の一つとなった沖縄基地問題は、内閣で殆ど認識が共有されていなかったことが分かる。首相周辺の人だけで動いて、内閣の他の閣僚は殆どタッチしなかったのだそうだ。

  更に鳩山退陣についても、後継となる菅さんは、鳩山さんの退陣の意図を、違って理解していたようだ。鳩山さん自身は、自分の政治資金問題が参議院選挙に影響するのを最も恐れて退陣、その際、同じ問題を抱えた小沢さんにも幹事長辞任を求めたと言う。ところが菅さんは、鳩山さんの辞任意図を、小沢さんが加わる以前の本来の民主党への回帰を求めているとみた。そこで、小沢さんを封じ込め、本来の主張として消費税増税をマニフェストに書き込む。その結果、直後の参議院選挙に大敗して、鳩山さんの辞任を無意味なものとしてしまった。そこから、鳩山さんの菅さんへの不信感が高まり、その後の党内対立や分裂にと繋がっていく。

  政治に関わるキーパースン間のコミュニケーションが如何に大切か、当たり前のことながら、深く思い知らされる。又、編者たちは、最後に総括として、政治の複雑さについても指摘している。政治は、目の前の個々人だけでなく、多くの社会団体、階層の利害に関わり、更に諸外国の利害にも関わる。個々人の意図の良さ、政策の素晴らしさだけでは、政治の複雑さに対応できない。編者たちの指摘通り、民主党政権への国民の過剰な期待、そして当事者たちの気負いや政治的未熟さが、あのような失敗にと繋がったのであろう。幻滅や失望に耐え、もっと漸進的で着実な改革を考えるべきという指摘は、心に残った。


政権交代とは何だったのか (岩波新書)  民主党の原点―何のための政権交代だったのか

2015年6月14日日曜日

磯田道史「天災から日本史を読みなおす-先人に学ぶ防災-」


磯田道史「天災から日本史を読みなおす−先人に学ぶ防災−」2014中公新書

 著者の磯田さんは、2012年から、静岡文芸大学の教員を務めている。2011年の東日本大震災を経て、東海地震の津波常襲地で津波の古文書を探すために、浜松に移住したそうだ。この本によれば、「過去の災いの記録をひもといて、今を生きる人々の安全のために参考に供する」ことを目指すというのである。静岡県に居住する私としては、まことにありがたい存在であり、この本を通読した後、更にその思いを強くしている。

 そもそも静岡県では、1970年代から、東海地震が心配されてきた。その際、つい最近まで専門家による地震の予知情報が、災害対応計画の中心に据えられていたように思う。しかし、1995年の阪神大震災や2011年の東日本大震災は、地震の予知がいかに困難であるかを、誰の目にも明らかにした。特に後者は、原発事故まで含んだ第二次大戦後最大の大災害となって、人々の考えや物の見方を大きく変える痛烈なインパクトを持った。何しろ、彼方から広い平野を駆け上ってくる津波が、田畑や人家、そして渋滞する車を、次々と薙ぎ倒し呑み込んでいく様を、私たちはテレビで見てしまったのである。予知が困難なら、それ以外の全ての知識を動員して、ともかく災害時を生き延びる手立てを考えなくてはならない。災害史からの知見は、その際、重要な手掛かりの一つとなる。

 この本は、イタリアの歴史哲学者クローチェの「すべての真の歴史は現代史である」という言葉を、冒頭で取り上げている。そして、「人間は現代を生きるために過去をみる。すべて歴史は、現代人が現代の目で過去をみて書いた現代の反映物だから、全ての歴史は現代史の一部であるといえる」と続けている。クローチェは、少年時代の1883年に起きた、ナポリ周辺の大地震で家族を失っている。その体験が、クローチェの思想に深く影響したと著者はみている。更に、著者の磯田さん自身が、そうしたクローチェの歴史哲学に導かれて、歴史研究を進めてきたようだ。彼は、NHKテレビの「英雄たちの選択」でもお馴染みであり、毎週、司会者として活躍されている。番組の特徴は、歴史上の英雄が決定的な場面で一つの選択に迫られて、どんな選択を決断したのかに照準していることだ。英雄の内面に現代人が分け入って考えることで、歴史的な事実が今に蘇る。一方、災害史を扱うこの本では、災害に直面した先人たちが、それぞれの悲劇的な体験のなかで考え、記録した貴重なメッセージが取り上げられる。磯田さんのような歴史学者による、当時の古文書の発掘と解読が、大きな鍵になっていることが分かる。それらは、当時の人間が、直面した災害の中で、どう生きたのか何を見たのかを後世に伝えている。彼らの発したメッセージが、今を生きる私たちの現代史の一部として蘇るということだろう。

 磯田さんの個人史も、話の一部に取り込まれて紹介されている。彼の母親は2歳の時に、1946年の昭和南海地震に徳島県の漁村で遭遇した。一家は、直後に襲来した津波から走って逃げた。2歳の母の手を、小6の伯母が手を引いて走った。伯母の話では、途中で手を離してしまい駄目かと思ったのに、2歳の子供は避難場所に先にいたのだという。最近、注目されている南海トラフを震源とする地震や津波も、こうしたエピソードの積み重ねから、更に身近なものとなる。南海トラフを震源とする地震により、ここ500年の間に5回の大津波が襲来した。つまり、100年に一度ということであり、90年以内に二度起きたことはないようだ。最後が1944年と1946年だから、丁度70年が経った。すると、ここ30年程度で起きると想定することは、確かに的外れではないだろう。

 本書から、災害に対する対応は様々な方法で可能だということが、よく分かった。

2015年5月7日木曜日

住宅ローンは借りた方が得だろうか。そしてどこで借りるのがよいか(2015年5月)

このところ書くネタもないので放っていたのだが、ちょっと気になって住宅ローンを調べていたのでまとめておくことにする。正しいかどうかはあまり自信がないので、半信半疑ぐらいで見ておいて欲しい。

2015年の段階では、住宅ローン控除が借入額の1%、10年間つく(借入額上限4000万円)。従って、10年間で最大400万円、税金が戻ってくることになる。一方で、現在の住宅ローンの金利は驚くほど低く、新生銀行で変動が0.880%(ただし、半年後は1.2%)、イオン銀行で変動が0.570%と1%を切っている。単純に考えれば、10年間は、借りた金利よりもローン控除の方が大きいことになり、借りた方が得だ(儲かる)ということになる。

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財務省 住宅ローン減税制度の概要
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住宅ローン金利比較
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ただ、もちろんそれほど事がうまく運ぶわけもない。住宅ローンを借りる場合には、別途費用がかかるからである。この費用を考えた時、それでも借りた方が得なのか、それともできるだけ借りずに済ませた方がよいのかが決まることになる。

いくつかのサイトを見るかぎり、別途費用で大きな額なのは次の2つのようだ。

・保証料 : 年利を0.2%ほど押し上げるらしい
・事務取扱手数料 : 借入額の2.16%を最初にとる。メガバンクの多くは定額3万円程度

この他、団体信用生命保険(死亡時などに借金を棒引きにする)があるが、最近は無料のところが多いようだった。あとは、免許登録税(借入額の0.1〜0.4%程度のようだ)や印紙代(2〜6万円ぐらいか)がかかる。

みてみると、ネット銀行の多くは、金利を低く抑え、保険料も無料が多い代わりに、事務取扱手数料を借入額の2.16%とる(4000万円借りれば、80万円強の手数料となる)。対して、メガバンクの多くは、金利が高く保険料もかかる代わりに、事務手数料が3万円程度に抑えられている。ただネット銀行では珍しく、新生銀行は事務手数料も10万円程度に抑えられている。さて、どれが最も安く上がるのか。

おそらく、まずは新生銀行が試金石となるだろう。金利もそこそこ安く、事務手数料も低いからである。変動で金利は0.880%(ただし、半年後は1.2%)、これに事務手数料が10万円程度、さらに登録税など諸費用がかかる。ざっくりこんな感じだろうか。

・借入額 4000万円の場合
・変動金利 1.2%
・保証料など 0円
・団体信用保険料 0円
・事務手数料 10万ぐらい
・登録税など 10(1%+印紙代6万円)-22万円(4%+印紙代6万円)の間ぐらい

金利とは別に、20-32万円かかっていることになる。金利で考えれば、0.5-0.75%ぐらいを初年に押し上げている。ざっくり10年で割れば、0.05-0.075%ぐらいになるだろうか。変動金利が1.2%であれば、1.25%-1.275%ぐらいになる。もちろん、35年で割ればもっと小さくなる。

さて、話を戻して、住宅ローン控除は1%であったから、0.25-0.275は赤字ということになる。このままだと、得はしないようだ。

もう1つ、多くのネット銀行が採用する事務手数料2.16%の場合にはどうだろう。住信SBKの場合、変動で0.65% である。

・借入額 4000万円の場合
・変動金利 0.65%
・保証料など 0円
・団体信用保険料 0円
・事務手数料 86万4000円(4000万円×2.16%)
・登録税など 10(1%+印紙代6万円)−22万円(4%+印紙代6万円)の間ぐらい

金利とは別に、100万円前後かかっていることになる。金利でいえば、2.5%程度だろうか。これを先と同じように10年で割ると、0.25%になる。最初の支払額は多くみえたが、実質的な金利では0.9%に収まっているようにみえる。費用として、140万円ぐらいまでであれば、実質的な金利は1%似に収まる。これであれば、ローン控除で利益が出るかもしれない。0.1%で考えれば、年間4万円である。

ということで、金利が0.75%程度までであれば(別途費用が100万円として)、ローン控除で利益が見込めるかもしれないということがわかる。さらにもう1つ重要なポイントがある。それは、「あえて」借りるということの意味である。借りた方が得かどうかという問いは、借りないという選択肢もあるということだ。ようするに、別途貯金があるということになる。もし、貯金が0円ならば、家を買うためには借りるしかない。ここでの計算は安い金利を探しているというだけの話である。

極端な話、4000万円持っていても、4000万円借りることができる。これが得かどうかということである。かつてスター銀行では預金連動型ローンを実施していた。4000万円借りて、4000万円貯金しておくと、貯金した分については金利が0%になるという驚くべきサービスだった(別途保険料はかかるので、実際は0.4%ぐらいとられるが)。4000万円を借りることで、貯金の4000万円は自由に動かせることになる。例えば、これをネット銀行の定期預金に入れてしまう。現在であれば、0.1-0.4%程度の利子を見込める。先の金利の計算には、これをさらに加えることができるように思う。ローン控除1%にプラスすればよい。

とすると、新生銀行のパターンでも、実質的な金利を相殺するぐらいにはなるかもしれない。住信SBIであれば、明らかに得になるだろう。なお、この場合には必然的な結論として、35年で借りても、10年後には繰上完済する予定でいた方がよい。ローン控除がなくなれば、1%がなくなるからである。もちろん、貯金をより利率の高い運用にまわせるのならば、話はまた別だろう。

くりかえすが、備忘録がてから書いているので、鵜呑みにはしない方がよい。



2015年2月23日月曜日

天地を喰らう2 諸葛孔明伝

どうでもいいことながら、時折思い出す名言だった一つ。誰かと作業をしていてうまくいかないとき、いつも思い出す。

以前書いたと思うけれど、「天地を喰らう」は三国志をもとにしたRPG。ファミコンで発売され、結構人気があったと思う。当然数多くの魅力的な武将が登場するのだが、ひときわ印象深かったのが呂布だった。三国志を知っている人ならば、三国志最強にして裏切りの名手といえば呂布の名が挙がるに違いない。

天地を喰らう2では、史実とは異なり、呂布は赤壁の戦い後も登場する。そして劉備や孔明に協力するように見せかけて、やっぱり、というか当然、裏切るわけである。この展開を誰もが知りながら、それでもこの展開になるという、なんというか吉本喜劇をみるようでもある。

そして関羽に向けて放つこの名言。

「おれは やっぱり じぶんで てんかを とることにしたよ」

それでいい。そして、当然のことながら、彼は歴史から退場していくことになる。


スクリーンショットを探していたのだけれど、なかなか見つからなかった。ようやくとれたので備忘録としてもアップしておこう。

2015年2月9日月曜日

音楽編 夜が明けたら

大学生だった頃好きだった曲の一つに「夜明けまえ」がある。スガシカオの名曲だと思うけれど、夜明け前というある意味始まりを予感させる瞬間と、だからといって何が起きるわけでもない現実がうまく重ね合わせられていた。

「僕らの銃声は ヤミをつらぬいて 夜明けまで 届きそうなのに
風がただ ふきつけるだけ」



曲が一瞬盛り上がってメジャーコード?になるにも関わらず、そのあと失速するような感覚がとても印象深かった。と同時に、何度もリフレインされながら、最後はまあそれでも良いのかもしれないと妙に納得してしまう感覚があり、今聞いても、これはどういうことなのだろうかと自分自身の感覚が気になってしまう。

歌詞の中にある、おもちゃの手錠を外そうとして逆にきつくしまってしまったという一節が示すのだと思うけれど、何かやろうとしてうまくいかなかったり、むしろ悪い方向に動くということはよくある。夜明けをみつけようとして、みつからなかったり、むしろヤミの中なのだから、どこにいるのかわからなくなってしまうこともある。でも、そういうことが現実なのだということかなと思っていた。

そんな中で、たまたま、youtubeできのこ帝国の「夜が明けたら」を聞いた。誰かのコメントで「渦になる」がいいとあったので聞いていた次第だが、一回聞いて、この「夜明けまえ」を思い出したのだった。

きのこ帝国の曲は、正直なところあまり知らない。聞いていると、accidmanを連想させる。(改めて聞いてみると、少し違う気もしてきた)。いずれにせよ女性ボーカルのせいか、もう少し線の細さというか、曲調がポップのような印象を受ける。

「思い出しても仕方のないこと 家に帰ろう夜が明けたら」

 

全体的に憂鬱な感じの曲風だが、それでもスガシカオよりは、夜明けに期待しているように感じる。その期待は、曲の最後にテンポが一気に加速することに象徴されている。結局その先に失速が待っているのかもしれないけれど、それでも、転調する感覚はある。

多分どちらの曲にしても、夜明けだからといって何か革命が起こるわけではない。どちらも、そんなに楽観的ではない。でも、でも、でも、夜が明けたら、何か起きるような気がする。そういう根拠のない高揚感と、そして結局何も変わらないのだけれど、それでも、ほんの少し、例えば気持ちが晴れるとか、もう一回やってみようかなと思うとか、そういう少しの変化が生まれる、そういう小さな変化を、きのこ帝国は肯定しているようにみえる。一方で、スガシカオの方は、変化すらない、繰り返し、それ自体を肯定しようとしているようにみえる。



2015年2月2日月曜日

音楽編 服部

 改めてそう考えると、服部は特異である。ユニコーンや奥田民生の世界は、何処かくたびれたサラリーマンの悲哀を歌っていた。だが、服部は明らかに違う。彼は30代を満喫する憂いのダーティサーティンだとされる。

 しかし、憂いのダーティンサーティンなのだ。そこにいるのは、やっぱり何処かくたびれたサラリーマンなのかもしれない。それは悲哀の対象でもあるが、その悲哀は、人々を引きつける新しい魅力でもある。まっすぐに生きていられた時代が終わり、現実はなかなか厳しいなとようやく気づくようになり、だからといってもう仕事を辞めるわけにもいかず、このままやっていくしかないという現実に直面する。その悲哀はしかし覚悟と裏腹であり、輝く男のようにちょっとずつ生きることもできるし、思い切って服部になることもできる。それは僕たちの選択に委ねられている。  

 あのころ、僕たちは服部に憧れていたのだろうか。あるいは、彼の魅力を知ろうとしていたのだろうか。カラオケでよく歌った記憶はあるが、その内容について深く考えた記憶はない。多分、何も考えずに歌っていた。ただ楽しかったということだろう。けれども、今思い直せば、あの時代はノスタルジアであるとともに、僕たちはまさにその年になっているということだ。  

 そういえば、ひげとボインなんて曲もあった。出世と恋愛の板挟みになるといったようなイメージだが、どちらにも進めない。突き抜けてしまえば、多分どちらもついてくるのだろうと思う。けれども、手前で止まっている限り、どちらにも手が届かない。そんな感じだろうか。

 そんなことを考えていると、やっぱり僕は服部にはなれていない。むしろ、理不尽な社会や会社を歌う大迷惑の方があっている。どうしてといわれても困るのだが、当時は、何となく歌いやすかった。出だしのシュビドゥバーの意味もよく分らないが、サラリーマンが転勤させられて困るというストーリーはよくわかる。歌詞に僕はカンイチ、君がオミヤとか入っていて、何だそれはと思った。当時は東京ラブストーリーにそんな名前の主人公がいたから、その話かなと思っていたが、考えてみればそうではなくて金色夜叉の貫一とお宮なのだろう。


 金色夜叉は今も読んだことはないけれど、ストーリーは何となく知っている。便利な世の中で、ネットでみればあらすじはすぐわかる。これも未完だったらしい。とはいえ、以前紹介した吉川英治の水滸伝が梁山泊完成の最大のポイントで終わっていたのに対し、こちらはどうも悲劇のまっただ中というところで終わっているようだ。比べるのも変な話だが、しかし未完はいろいろとその後の想像を可能にするともいえる。

2015年1月26日月曜日

音楽編 働く男

 ユニコーンで定番の一つだったのが何かの男シリーズだったと思う。覚えているのは、働く男、輝く男、スターな男といったあたりか。特に働く男はサラリーマンの悲哀のような曲だったが、友人が好きでよくカラオケで歌っていた記憶がある。考えてみると、大迷惑もそんな感じの曲だったから、サラリーマンの気持ちがよくわかるバンドだったということだろうか。誰かがサラリーマンとして働いた経験があり、それをもとにしているのかもしれない。

  働く男は大変で、忙しいのだが親父がらみのコネもあるから仕事を辞めらない。彼女にも最近は会えずにいて、彼女の顔や声を思い出すこともできなくなりつつある。誰か助けてというわけだが、誰も助けてはくれない。大迷惑もそんな感じで、せっかく楽しく暮らしていたのに異動で僻地に飛ばされてしまい、どうすりゃいいのというわけだ。

 輝く男とスターな男は、あんまりサラリーマン的ではないかもしれない。輝く男は、神も仏も引き連れて、彼女を幸せにしてあげたいというポップな内容だし、スターな男にしても、実際には小さな世界のスターにすぎないが、それでいいじゃないかという感じもする。どちらもこの世界が思い通りにならないものであるという悲哀はあるが、そこまでリアルな感じというわけでもない。

 この手の歌を、当時高校生だった僕たちがカラオケで歌っていたのは変な話だ。一体どういう気持ちで歌っていたのだろう。単に楽しかったということだけのような気もするが、あれは自分たちの未来の姿だと思っていたのだろうか。それとも、自分たちは違うという意識のもとで、歌われている人々を笑っていたのだろうか。僕たちはまさに歌われる側の年になってしまった。

 輝く男はいう。久しぶりにきれいな人と話ができるよ。君のことはずっと前から気になっていたんだ。話ができたという点では幸せな話だが、久しぶりとはどういうことだろう。そこにいるのは、決して輝く男ではない。むしろ平々凡々なサラリーマンの姿だ。働く男と何も変わらない。もしかすると、同じ人物なのではないだろうか。働き疲れて所在ない日常の中で、ふと気になっていた女性と話す機会に恵まれる。ここぞとばかりに話しかけるわけだが、しかし30代にもなってがつがつというわけでもあるまい。柔らかく、何気なく、日常を装ってというわけである。

 日常の中にささやかな楽しみもある。面白いこともある。その瞬間をうまくすくいあげていこう。そんな感じだろうか。客観的にみればたいしたことではなくても、その人にとっては大事な一瞬なのである。

2015年1月19日月曜日

音楽編 29と30

ちょうど僕が大学生になったかならないころ、奥田民生は「29」と「30」というアルバムを出している。彼自身が29歳、30歳になったという意味だったと思う。僕よりも10歳ぐらい年上だということになるが、なんというか、当時はそんな年齢を考えたこともなかった。奥田民生にしてみれば、服部の世代になったなぁということだったかもしれないし、確かに僕自身30代に数年前になった頃、なんというかちょっと年を取ったなぁという感じがあったことも確かだ。

 「29」や「30」では「息子」とか「人の息子」なんて曲が入っていて、そういえば「息子」自体は僕が高校生の頃に出た曲だった。カラオケで歌っていた記憶もあるが、考えてみれば変な話だ。自分の親にでもなった気分で歌わないとつじつまが合わない内容だった。

  「29」と「30」は、実際にその年になったときに改めて聞こうと思っていて、実際に聞いた記憶がある。そんなに前のことではないけれど、29歳のときには僕はもう東京に出てきていたし、結婚もしていたと思う。子どもはまだいなかったけれど、どうだろう、奥田民生も大体そんな感じだったのではないだろうか。もちろん比べられるような身分ではないが、まあ人生ってそういうものかなと思ったような記憶がある。

  人の息子は、確か進研ゼミのCMソングとして採用されていた。設定としてはよく分かる話で、進研ゼミで頑張っている人の息子を応援するというわけだ。この気持ちも当時の僕にはわからなかったけれど、まあ今ぐらいの年になれば、何となくわかることもある。しかし曲の内容は思い出せない。

  30ぐらいになると、自分よりも子供のことに興味が行くのかもしれない。年相応という感じではある。一方で、音楽という点で言えば、そうした変化を嫌うような歌もたくさんあると思う。ブライアン・アダムスの18 till I dieなんて典型だ。死ぬまで18歳だぜというわけだから。ブルーハーツでも、似たような感じの歌を歌っていた気がする。

 奥田民生もアンビバレントで、一方で若さを示すような曲もあった。イージューライダーとか、それからさすらいなんて曲もこの頃だろうと思う。その他にもいろいろ曲が入っていたが、あんまり思い出すこともない。奥田民生でO.T.だからということで、○の中に+が入ったマークが書かれていたのを覚えている。単純だけど、なるほどねぇと思って真似してみた記憶がある。僕の場合にはうまく組み合わせられなかった。

2015年1月12日月曜日

音楽編 きっかけ

 僕は基本的に音楽に興味がなかったから、中学校時代にあったらしいバンドブームとは無縁だった。僕がこういう音楽を聴くようになったのは、多分高校生に入ってから、周りのみんながそんな話をするようになり、それからカラオケにみんなで行くようになってからだと思う。人前で歌うのもどうかと思っていたが、まあそれはそれで盛り上がって楽しい。歌を知らないことには何も歌えないし、間違って大きなのっぽの古時計でも入れられた日にはこいつは何だと思われてしまうから、いろいろとCDを借りて聞くようになったのだった。

 実際、そういえば、どこでだったか大きなのっぽの古時計騒動を聞いた。いつだったか平井堅二が大きなのっぽの古時計をリメイクして歌った時期があったが、そのころカラオケに行った友人がいうには、コンパかなにかで知り合った女の子がその大きなのっぽの古時計を選曲したのだという。みんなてっきり平井堅二の曲だろうと思っていたのだが、始まった曲はいわゆる昔のそれだったらしい。で、間違ったというのならばまだ話は面白いが、その方は大真面目でその曲を歌ったのだという。みんな手を叩いて伴奏しながらも、ちょっと凍ってたよということだった。

 まあそれはいい。そんなこんなで高校生の頃に音楽を聴き始めたということになるが、友人が好きで薦めてくれたのが、例のユニコーンのベストアルバム、ベリーラスト(ゴミ)オブユニコーンだった。その友人から貸してもらったかもしれない。

 これが新鮮で、というか多分新鮮かどうかもよくわかっていなかったわけだが、先ずはこれから覚えようと思った。may be blueとかかっこいい歌だなあと思ったわけだが、一方で変な曲も入っていて面白かった。
 
 変な曲の一つが「服部」だった。よく知られた曲ではあると思うけれど、30代の服部を歌った曲だ。20歳程度の若造なんか全然相手じゃないぜという話で、世界を独り占めだとされる。シングル盤のジャケットも印象的で、およそ若手のバンドらしからぬおっさんの顔写真がアップでのっている。後に、このおっさんのオマージュ?が氣志團でも用いられていて、「服部」はずいぶんインパクトがあったのだなぁと思った。

 ユニコーンや奥田民生はどことなくおっさんじみたところがあり、最初はビジュアル系バンドだったのかもしれないけれど、僕が知ったときにはなんというかコミックバンドという感じもした。ビートルズをベースにしているとその曲風は、多分僕がその後ビートルズを聴いてみる気になった理由にもなっていると思う。

 同時期にBOOWY等を知ったわけだが、ずいぶんと対照的なバンドだったと思う。個人的に親近感を感じたのはユニコーンや奥田民生だったわけだ。ようするに、そのころからおっさんじみていたということなのかもしれない。30代の服部の気持ちはわからなかったし、そもそも高校生だから20歳の気持ちもわからない。けれども、少なくとも高校生の気持ちもそんなになかったのだろう。BOOWYも好きだったけれど。

2015年1月7日水曜日

ジャパンクライシス


橋爪大三郎・小林慶一郎「ジャパンクライシス―ハイパーインフレがこの国を滅ぼす―」 筑摩書房、2014

 この本の議論の中心は、国の実態を知ることがごく少数の人だけでよいのか、という問題だと思う。実際、多くの富裕層が、今や海外に資産を移し始めているという。又、財務省や経産省などの官僚の中には、ハイパーインフレに期待する人もいるようだ。かなり危険な状態に日本が立ち至っていることは、今や間違いない。

 国債など国の負債が1000兆円を超えていることは、国民の間で、かなり知られているだろう。この金額はGDPの220%にあたるが、米国ではこれが60%、ドイツでは80%、イタリアでは120%であり、日本の突出が目立つ。問題は、国債が毎年増え続けていることだ。償還分が120兆円あり、予算の不足分とを合わせて毎年、合計160兆円発行している。政府の昨年の長期推計では、現状のままであれば、債務残高の対GDP 比は上昇を続けて2050年には500%を超える。しかし、300%を超えると国内の預貯金の総額を国債発行額が超えてしまい、海外の投資家の買い支えが不可欠となる。その場合は、国債の暴落は避けられない。そうなると、国債を多くかかえた銀行や生保が立ちゆかず、金融危機に陥る。又、日銀が国債を買い支えても、通貨供給量の増加によりハイパーインフレに陥る危険性が高い。そして、その時期は、10~20年後とみられる。 

 同じ政府の長期推計では、何らかの財政改革をして、2060年までに債務残高をGDP比100%にまで低下させるのに、毎年70兆円の財政収支の改善が必要だとされた。これは、消費税30%分にあたる。つまり、消費税をあと30%上げれば、50年後にはかなり財政が改善されるということだ。健全財政とされる対GDP比60%にするには、消費税35%をおよそ100年続ける必要があるという。財政健全化という言葉は、政治家やマスコミがよく用いる言葉だが、本気で取り組むなら消費税35%でも100年かかるということ。逆に言えば、それ以外の方法は、目先の方便に過ぎないということだろう。

 この本では、日本の財政について基本事項を確認しつつ、アベノミクスへの批判も併せて行っている。第一の矢である金融緩和については、財政問題を解決するために必要な時間かせぎという点では、望ましいと評価する。第二の矢は、財政出動により景気回復を目指すのだが、長期的には財政悪化になる。第三の矢は、成長戦略だが、財政が目に見えて改善するには、経済成長率が10%くらい上昇する必要があり、極めて難しい。アベノミクス全体に対しては、長期的な展望がないこと、政策の順番が間違っていることが指摘される。財政再建が進まないと、景気回復が難しい、というのだ。2010年にはアメリカで、公的債務が対GDP比90%を超えると経済成長率が大幅に下がるとする論文が出て、大きな話題になったらしい。まして日本では、対GDP比200%を超えているのだ。

 この本の認識は、消費税を35%に上げて100年掛けて財政を健全化させるか、それともある時突然ハイパーインフレに陥るかという選択が、今や我々に刻々と迫っているというものだ。ハイパーインフレになれば、国民の金融資産は失われるが、国の負債は殆ど帳消しになる。しかも、短期で決着するので、それに期待する人々もいるようだ。しかし、その場合のシミュレーションを見ると、余りに副作用が大きすぎる。それよりも、消費税35%の方がよいではないか、というのがこの本の主張である。消費税35%となっても、消費水準は1.4%落ち込むだけ、という試算もあるらしい。国民も、深刻な事態や切り抜ける道筋をきちんと説明されれば、理解が進むだろうというのが著者たちの考えである。


2015年1月5日月曜日

音楽編 阪神大震災

大学入試を受けた一年前、阪神大震災があった。ちょうどネット記事を眺めていたら、震災からもう20年経つらしい。早いものだ。祖父母の実家は神戸にあったから、ちょっと衝撃的だったことはよく覚えている。

当日は普通に授業があって、日本史の先生が神戸で大きな地震があったらしいと授業前に教えてくれた。ただこのあたりはちょっと記憶が曖昧で、地震があったのは明け方だったはずだから、高校に行く前に地震があったことは知っていたはずだ。すでに祖父母との連絡は取れた状態で高校に行ったのかもしれない。

とはいえ、気になることは気になる。そこで役に立ったのがラジオ付きだったウォークマンだった(但しソニー製ではない)。今では完全にMP3プレイヤーに取って代わられ、ラジオもまたあまり聞かなくなっているように思うけれど、当時は、まだまだ主流だった。特にラジオ付きのウォークマンは種類が限られていたけれど、イヤフォンがそのまま受信アンテナとして機能するというような話で、比較的使いやすかった記憶がある。

高校に行くときにはもちろんウォークマンで音楽を聴きながらいくわけだが、学校に行っても利用可能性は高い。授業中も服の袖にこっそり通して片耳で聞いていた。不真面目なと思う感もあるが、その方が眠くならないし、集中力も高まる。授業をラジオ代わりに内職するのは大学生の鉄板だろうけれど、ラジオや音楽を実際に聴きながら授業を受けるというのも、決して悪くはないと思っていた。

ラジオを聞いていると、地震の情報も適宜入ってくる。昼前に高校の玄関前(どうしてその記憶が残っているのかわからないが)で聞いていて、ずいぶんと規模が大きいことも分ったし、死者が多数という話もよくわかった。高校生としていえば、上級生がちょうど入試シーズンだから、神戸圏の入試はどうなるのだろうとも思った記憶がある。

その時、どんな音楽を聴いていたのかを思い出すことは正直難しい。高校生だから、奥田民生とか、ミスチルとか、そんな感じだった気はする。20年前に何が流行っていたのかを思い出すことは、20年前に何をしていたのかを思い出すきっかけになる。そして、その時別に何が起きていたのかについても、今から思い返すことができる。コネクティング・ザ・ドッツではないけれど、あのとき、それがどういう意味を持つのかなど到底見通すことはできなかった。けれども、今からならば、20年前の出来事がどのように偶然として結びつきながら、今に至っているのかを考えることができる。