ラベル

2013年9月12日木曜日

永遠の吉本隆明

永遠の吉本隆明【増補版】 (新書y)
橋爪大三郎『永遠の吉本隆明 増補版』洋泉社新書、2012

 1970年前後に大学生だった人(団塊の世代と重なる)は、大抵が思想家・吉本隆明を知っている。当時、私も大学生であり、彼の本を何冊か読んだ。やがて学生運動が下火となり、時代も変わって、その影響力も低下していったようだ。しかし、彼はその後も社会にしばしば話題を投げかけて、注目される存在であり続けた。2012年に亡くなると、新聞が大きく一面を割いて、追悼記事を掲載していた。

 この本の著者の橋爪大三郎も、やはり団塊の世代の1人であり、当時、吉本思想から大きな影響を受けたようだ。吉本の「共同幻想論」(1968、文庫版は1982)を読んだ感想を、橋爪は次のように言っている。「個人的な自意識とか人格性としてある状態-個人としてあるという状態-と、連続的な問題意識で、社会的な問題を社会科学の方法によって考えていっていいのだ、という感触を得た」。個人的なことと社会的なこととが、問題意識として連続しているという感触、それは、今となっては当たり前のことかもしれない。しかし当時としては、やはり画期的だったと私も思う。前衛の党が大衆を指導する、という話が、むしろ当たり前の時代であった。

 著者は、吉本思想の影響や意味を、以下のように異なったレベルで捉えていると思う。

①<団塊の世代への影響>この世代の吉本読者にとって、吉本は、「無教会派の司祭」の役割を果たしたという。団塊の世代の、その後の人生を説明しているくだりは、面白かった。吉本の徹底した反権力思想のお陰で、彼らは万能の批判意識を手に入れると共に、一方で全くの無能力の状態に陥ったというのだ。

②<日本社会の課題の引き受け>この課題とは、日本社会で自由な主体であることの困難さを、どう乗り越えるか、というもの。言い換えると、これは非西欧圏の国々が近代化を進める時に起きる精神的な混乱と、それを回復しようとする努力であり、普遍的で地球大のものだ、と橋爪は指摘する。吉本は、その課題を誰よりも徹底して引き受けたのだ。

③<文学や社会・国家についての理論的・方法論的な業績>まず「言語にとって美とは何か」(1965、文庫板は2001)では、「品詞」を自己表出と指示表出の関係から分類し、そこから言語表現を考察して、古代から現代までの文学を見通すフレームをつくった。オリジナルでユニークで、奇跡のような不思議な書物、と橋爪は言う。「共同幻想論」では、民話などいわゆる集合的無意識を、社会科学理論の文脈で意味を明らかにする作業を行った。更に、そこから権力や国家の起源を解明しようとした。2冊とも、全く独自に遂行されながら、世界に通用する業績であると橋爪は高く評価している。

 上の①~③のうち、②の<日本社会の課題の引き受け>が、最も「永遠の吉本隆明」というタイトルに関わってくるのだろう。吉本は、一貫して個人への徹底したこだわりと、普遍への飽くなき執念を抱き続けた。そのことから、彼は権力を徹底して否定する立場に立った。①は、結局そのことと関係する。橋爪自身は、権力の問題で、吉本の影響を脱するのに苦労したようだ。橋爪は、自由を肯定しつつ、むしろ自由という見地から国家の存在を肯定する。そこから、彼の独自の言語派社会学の構想が生まれたようだ。

 吉本が格闘した②の課題を次の世代が引継ぎ、人間や社会に関する認識を更に深める必要性がある、と橋爪は主張する。彼にとって、吉本は自分なりに考える勇気とヒントを与えてくれた、と言う。又、吉本思想と社会学の共通性の指摘も、刺激的で面白かった。

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫) 最後の親鸞 (ちくま学芸文庫) 吉本隆明