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2012年10月3日水曜日

僕たちのゲーム史

僕たちのゲーム史 (星海社新書)
さわやか『僕たちのゲーム史 (星海社新書)』2012年

少し前に見つけた本だが、ざっくりと読み終わった。非常に興味深い内容で、内容はもちろん、分析についてもなるほどこうやって書けば良かったのかと思うところが多かった。


過去に書いたブログ記事


いくつか興味深いポイントがあるが、「ボタンを押す」ということと「物語性」という2つの観点からゲームの歴史をとらえ直すというのはなるほどと思うアイデアだった。類似したロジックは、すでに中沢新一のゼビウス論や、あるいは西村清和のシンクロ論にあったように思うが、それをゲームの歴史全体に適用するというのは新しい方法だろう。

「ボタンを押す」はユーザーによる世界の操作可能性を示し、当の世界は「物語性」として与えられる(具体的な物語自体は別になくても良い)。あと、媒介として、人称問題が挟まっていて、1人称のゲームと3人称のゲームがある。ここまで用意すれば、かなりの現象をこの枠組みで説明できる。歴史的な変遷はもちろん、日米ゲームの違いやパソコンとの関連も議論できるというわけだ。

同時に書いていて思ったが、「ボタンを押す」という観点は、それまでの操作可能性とはちょっと違う具体的な特徴を持っているともいえる。機能的な操作可能性ではなく、あえて「ボタン」に物理的な形状にこだわったのかもしれない。とすれば、コントローラーとキーボードの違いや、連打可能性等などが議論でき、そこからパソコンとの違いや高橋名人の話等も自然に組み込める。拡張性は高い。

第7章では、「楽しみはゲームの外にある」として、90年代以降のポケモン等が取り上げられる。焦点になるのはコミュニケーションである。これはもう一つ、アイデアとしてとても参考になった。ようは物語が外部に広がっていることをネットの発展等と合わせて議論しているわけだが、これはむしろ遡って、当初の時代から、これこそが大事だったと見てもいいような気もする。いわゆるシミュレーションゲーム(3章で述べられていて、これも面白い)についても、積極的に外部のつながっていた。にもかかわらず、この視点が当時はとても弱かった。だから、ゲーム悪のような話がでてきたのだろう。

というわけで、大変勉強になった一冊でした。あと、僕の好きな『水滸伝・天命の誓い』がヒットチャートに載るぐらい売れていたとしってちょっと驚きました。まわりで知っているという人にあったことがないのだが、、そもそもそんなこと、聞いたことがないからか。

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