そもそもテレビゲームとは何であろうか
ゼビウスの分析
中沢(1988)は、ゼビウスについて、レヴィ=ストロースの構造主義的視点を用いて考察している。中沢の議論は、テレビゲームに関する研究においては初期のものであり、二項対立とその侵犯という枠組みがベースにある。中沢の議論は、その当時にあっても、どちらかといえば新しいメディアとしてのファミコンを漠然と危険視する風潮が強かった中で、強いインパクトを持ったとされる 。
周知の通り、というべきだろうが、ゼビウスは、ナムコから1983年に発売されたテレビゲームであり、「インベーダーゲーム」と同じシューティングゲームとして位置付けられる。ただし、中沢によれば、ゼビウスとインベーダーゲームには大きな相違点がある。
それは、物語的な展開の有無である 。もちろん、インベーダーゲームにおいても、少なからず物語的な展開は存在している。しかしながら、インベーダーゲームにおける、地球/外宇宙の侵略者という内/外の神話的二元論では、物語としては単調さを免れることができない。このようなインベーダーゲームにおける物語の単調さを、ゼビウスは大きく克服しているという。
ゼビウスにおける物語性は、大きく2つの方法を通じて、ゲームプレイヤーに喚起される 。一つ目は、「引用」である。例えば、ゼビウスにおいて登場するバキュラと呼ばれる回転する板は、クラーク&キューブリックの「2001年宇宙の旅」において登場する超意識物体モノリスを引用しているとされる 。
また、スクロール展開していくゲームにおいて、その途中でナスカの地上絵が現れる。これはもちろん、ペルーにあるナスカの地上絵を「引用」している。このほかにも、中沢によれば、多くの「引用」が意図的にされている。
こうしたゼビウスそれ自体とは直接の関係のないものが「引用」されることにより、ゼビウスは、奥行きのある物語性を獲得する。バキュラを通して、ゼビウスの世界は「2001年宇宙の旅」の世界ともつながっていることが意識され、また、ナスカの地上を通して、やはりゼビウスの世界が古代文明やSF的世界とも関連していることが意識される。