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2012年10月5日金曜日

われらゲームの世代・理論編5

虚構と現実のシンクロ

西村によれば、僕たちは、主人公と同化し、テレビゲームの世界を生きてしまうということはない。なぜならば、僕たちは絶えず、主人公のキャラとしてテレビゲームにおける物語の展開に参加しつつも、同時に、そのテレビゲームのプレイヤーとしてテレビゲームにおける物語の展開を制御し、コントロールしようとするからである。

西村は、この状態をシンクロ(同期)とよんでいる 。シンクロとは、テレビゲームの世界内とテレビゲームの世界外の連動を意味している。一方でテレビゲームの世界を生きてしまうようにみえながらも、一方でテレビゲームの世界に対して超越的な視点に立ってテレビゲームの世界で起こる出来事を観察し、分析しているというわけだ。

前者は、テレビゲームという虚構世界への没入であり、後者は、テレビゲームという虚構世界の支配と考えることできるだろう。シンクロでは、前者におけるテレビゲームへの没入と、後者におけるテレビゲームの支配を、交互に繰り返すといえる。

それゆえ、まず第一の問題については、肯定派・否定派ともに、問題の本質を捉えていないことになる。両者は、プレイヤーがテレビゲームの世界を生きることを前提として、その効果を肯定するか、否定するかについて議論してきたからである。

西村の議論をふまえるのならば、プレイヤーが純粋にテレビゲームの世界を生きてしまうことはない。あえていうのならば、プレイヤーは、テレビゲームの世界(虚構)とこちらの世界(現実)のはざまに生きることになるだろう。ちょうど帯にもそう書いてある。

電脳遊戯の少年少女たち (講談社現代新書)虚構世界の存在論 生と死と愛と孤独の社会学 (定本 見田宗介著作集 第6巻)