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2012年10月3日水曜日

われらゲームの世代・理論編3

テレビゲームにも価値がある

当時すでに、より端的に、テレビゲームを肯定する議論が存在する。例えば香山(1996)は、テレビゲーム否定派の議論を踏まえつつ、視点を反転させることによって、テレビゲームと癒しの関係について議論している。

テレビゲーム否定派の認識は、少なくとも、テレビゲームと問題のある子どもの間には相関関係があると考えている。テレビゲーム否定派は、ここからテレビゲームをネガティブに捉えるが、香山は逆に、ここからテレビゲームをポジティブに捉えようとする。すなわち、問題のある子どもであってもテレビゲームにならば関係を持つことができる 。そしてこの反転から、香山は臨床医として、テレビゲームを通じた問題のある子どもへの癒しの可能性を指摘している。

この視点は、先の深谷・深谷が指摘していた、子供が機械を相手にするのならば自由に振る舞えるという認識を、まさに逆に解釈しようとしている。そして、その具体的なあり方として、機械を相手にコミュニケーションをとろうとすることでコミュニケーションするという方法を学び直し、対人コミュニケーションへ向かう契機にしようとしている。

その他にテレビゲーム肯定派の議論として、平林・赤尾(1996)や山下(1995)を挙げることができる。彼らは、テレビゲーム否定派の議論の根拠の希薄さを批判しつつ、テレビゲームの肯定的側面を強調する。

平林・赤尾によれば、テレビゲームを「悪」として捉える認識は、新しく登場したメディアに対する漠然とした警戒感や不信感に基づいている。そうした警戒感や不信感を根拠付けるために、テレビゲームは一種のスケープゴートとして、「悪」であるとみなされてきたのだという 。また、山下は、人間関係の希薄化という問題は、テレビゲームを原因として生じているわけではないと指摘する。むしろ逆に、人間関係の希薄化という時代背景の中で、テレビゲームは結果として生じたというのである。


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