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2012年10月2日火曜日

われらゲームの世代・理論編2

テレビゲームは子どもに悪影響を与えていたか

さて、テレビゲームと子供の成長の関係について、その当初、比較的まとまった議論を展開したのは深谷・深谷(1989)『ファミコン・シンドローム』である。彼らは、編著の著作において、人間のロボット化現象としてファミコンへのシンドロームを捉え、議論を展開している。対人関係が苦手である子供も、機械相手であれば自由に振舞う。彼らの主張によれば、このような状況は、テレビゲームに伴う病理的な側面として理解できるという 。

彼らの議論では、基本的にテレビゲームに対するネガティブな姿勢が貫かれている。このことは、彼らの議論の結末が、総じて、テレビゲームやそれらニューメディアの流行を憂い、メカやモノではなくヒトの重要性を指摘することで結ばれていることからも伺うことができる。

こうした論調を、とりあえずテレビゲーム否定派として捉えておこう。テレビゲーム否定派は、今日においても多く存在し、例えば凶悪な少年事件が起こるたびに、テレビゲームと事件の関係が取り上げられる 。とはいえ、両者の関係を明確に突き止めた研究は、特に日本ではあまりないように思われる。数少ない実証研究としては、例えば坂元(1993)を挙げることができるが、この中では、両者の関係を因果関係として捉えることの困難性が示されている。

テレビゲーム否定派が(おそらく今も)根強く存在する一方で、テレビゲームを肯定的に捉える視点も存在する。これを、テレビゲーム肯定派として捉えよう。実は、深谷・深谷(1989)の議論の中でも、中原(1989)では、ファミコンを通じて、心に病を持った子どもたちの治療にあたったという事例が紹介されている。あるいは、織田(1989)は、ファンタジーの持つ破壊性だけではなく建設性についても触れ、ファミコンの持つ二面性を指摘している。彼らの議論は、テレビゲームを否定的に捉える帰結へと展開されていくものの、その経過においては、テレビゲームの肯定的側面を捉えている。

今からみれば見当違いのようなこともある。だが、大事なことは、あっていたかどうかではない。当時の文脈ではその重要性が確かに語られていたということである。その論理をたどりながら、ファミコンを捉える視点を探っていくことにしたい。

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