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2012年10月19日金曜日

われらゲームの世代・理論編14

物語を創るテレビゲーム

そういえば、僕は前からゲームを作りたいと思っていた。これは、支配の欲求だったのだろうか。考えてみれば、その手のゲーム自体がしばしば提供されてきた。一番印象に残っているのは、エンターブレインから「RPGツクール」に代表されるテレビゲームを作るソフトが発売されていたことだ。

「RPGツクール」は、その名前のとおり、ロールプレイングゲームを作るソフトであり、1992年にアスキー(現エンターブレイン)から「RPGツクール98DANTE」がPC-98版として登場して以来、最近では2002年に「RPGツクール5」(プレイステーション2版)、「RPGツクール2003」(パソコン版)や、2003年「RPGツクールアドバンス」(ゲームボーイアドバンス版)など、多くのプラットフォーム用に継続的に発売されている。

「PRGツクール」は、今までの議論をふまえれば、極めて特徴的なテレビゲームである。というのも、このテレビゲームは、テレビゲームを作るテレビゲームだからである。テレビゲームは、本来、プレイヤーにとって与えられるものであった。それに対して、「RPGツクール」は、プレイヤーにテレビゲームを作ることを与える。

「PRGツクール」が提供するのは、テレビゲームの枠組みとキャラクターデザインなどのデータベースであり、プレイヤーはそれを素材として、テレビゲームを作り上げていく。ここには、物語を積極的に創造するプレイヤーが現れることになる。

「PRGツクール」は、これまでの議論に対して、大きく3つの示唆を与えてくれるだろう。まず第一に、テレビゲームを物語を生きるものとして捉えてきた旧来の視点に対し、その認識の不足を補う。その不足とは、テレビゲームの物語は制御・統制され、支配の感覚を与えるものだということである。「RPGツクール」を、物語に没入して生きるテレビゲームとしてのみ捉えることは難しい。

第二に、テレビゲームなり物語を作成する際には、データベースが活用されるということである。東(2001)の指摘のとおり、今日では、我々はデータベースへのアクセスを通して、物語を生成する。また、それが容易にできる。さらにいえば、今日では多くのテレビゲームが、その物語を「過視化」されている。それがいかなる形で企画され、プログラミングされたのかについて、我々は知ってしまっている。

そして第三に、そうして生成された物語は、決して大きな物語へ回収されることがない。というのも、例えば「RPGツクール」で作成されたテレビゲームの個々の物語において、横の関連は一切ない。それらは、もちろん「RPGツクール」で作られたテレビゲームという共通項は存在するものの、物語自体には何の関連もないのである。作られたテレビゲームは、自己満足のうちに消費されるか、極めて狭い経路で流通するだけにとどまったはずだ。


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