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2012年10月16日火曜日

われらゲームの世代・理論編11

ゼビウスの分析3

しかし、実はそれだけではない、というのが中沢の見立てだった。中沢は、この上にさらに、ゼビウスがもつ決定的な側面を指摘する。それはバグである。

バグとは、テレビゲームのプログラミング上のミスや、ハードウェアの物理的性能の限界などによって生じる通常想定外の怪現象を指す。つまり、ここまで指摘したゼビウスの物語性は、意図的にプレイヤーに与えられたものであったのに対し、バグの存在は、意識するしないに関わらずプレイヤーが発見し、体験することになる。

もちろん、こうしたバグのいくつかは、やはりメーカー側が意図的に用意した、あるいはデバッグせずに残したものであろう。それでも、すべてのバグが意図的に用意されたものではない。プログラムの複雑性が増せば増すほど、バグを事前に取り除くことが難しくなることは明らかであり、場合によっては、バグはプログラムにとって致命的となる 。

しかし、ゼビウスにとって、こうしたバグの存在はマイナスの要素ではない。むしろ逆に、このバクの存在が、プレイヤーに意図せざる形で能動性を与え、結果として、ゼビウスに魅力を与えているのである。プレイヤーに対し与えられる物語性と、プレイヤーが発見するバグの存在が、先の西村(1998)の言葉でいえば、テレビゲームと我々がシンクロすることをより促進することになるだろう。

考えてみれば、バグはやがて裏技やウルテクとして表に出され、ファミ通やファミマガにとって貴重な材料としても利用されるようになった。バグはゲームの魅力をまさに作り出し、その魅力はゲームの産業にも影響を与えていたことがわかる。ゲームそのものの仕組みもまた、ゲームの外側に広がっている。


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