ラベル

2012年7月31日火曜日

われらゲームの世代29

太陽の石

ドラゴンクエストはちゃんとやった記憶はないのだが、一方でいくつかのクエストを印象深く覚えている。先の復活の呪文や竜王の誘惑もそうだが、「太陽の石」探索クエストがそれだ。

竜王の城にわたるために必要となるイベントアイテム「太陽の石」は、ゲーム中盤から終盤にかけて手に入る。一方で、しかし太陽の石は、ゲームが始まると同時にみることが出来る(いや、直接には出来なかったかもしれない)。その場所は、主人公の出発点となる居城ラダトームであり、ラダトーム城をつくる壁の向こう側に、宝箱だか地下室へ至る階段がある。太陽の石はそこにあるのだ。

わかってはいるのだが、そこには鍵がないといけず、しかも、壁の向こう側のため、普通はそちらに出られるかどうかがわからない。一度知ってしまえば、序盤でもとりにいけるのだが、知らなければ本当に永遠ととることが出来ない。この存在を誰かから聞くか、あるいは攻略本で見た時、あぁそれはすごいと思った記憶がある。

何がすごいと思ったのかは覚えていない。ゲームが謎解きとしての側面を有しつつあったこの時代、灯台下暗しの方法はきっと当たり前だったに違いない。それはまさに、ポートピア連続殺人事件の犯人がそうだったように。

まずは自分を疑うのだ。足下を見直すのだ。このエッセイの目的がそうであるように。そういえば、こうした論理は、RPGゲームに始まるというよりは、どうやらゲド戦記の第一部、かげとの戦いに起源をみることが出来るらしい。

ゲド戦記はジブリが映画化して知名度を上げたが、あれは第三部、最果ての島へをもとにしている。当初の第一部では、主人公はみずからが生み出してしまった自分のかげと戦うことになる。主人公が強くなればかげが弱くなり、かげが強くなれば主人公は弱くなる。自分が追いかければかげは逃げ、自分が逃げればかげは追いかける。自分とかげは2つで一つであり、同じ名前のもとにある。主人公とかげは、最後に同じ名を呼び合うことで一つになる。

ゲド戦記 [DVD]影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)ゲド戦記(6点6冊セット) (岩波少年文庫)

2012年7月30日月曜日

日本人の情報行動2010

日本人の情報行動2010
橋元良明編『日本人の情報行動2010』東京大学出版会、2011

東京大学が中心となり、5年毎に行われている日本人のメディア利用についての調査報告書である。タイトルの通り、本書は2010年に行われた調査結果がまとめられている。 テレビや新聞といったメディア全般の利用動向が調査されているが、やはり注目すべきはインターネットと携帯電話についての利用動向であろう。5年毎とはいえ、徐々にデータが貯まってきており時系列の分析も可能になっている。もちろん、メディア間の比較もできる。

いくつか興味深いデータがあった。一つは、メディアの信頼性に関わる項目である。テレビはこの10年でほぼ変化していない一方で、インターネットの信頼性は向上し、それから新聞が年々減少している。データ上は、信頼できる情報を得るためのメディアを一つだけ選択するという設問のため解釈には注意が必要だろうが、新聞をかつて選択していた人々がネットに移行したとみることができそうである。同様のデータで、趣味娯楽のためにもっとも用いられるメディアとしては、2010年にはついにネットがトップに立っている。

インターネットのメディアとしての信頼性は、さらに別途5点尺度でも調査されている。この手法では年齢や学歴を説明変数とした回帰分析も行われており、年齢が若いほど、それから世帯収入が高いほど、どうやらネット情報を信頼できると認識していることがみえてくる。学歴も影響を与えていると考えられることから、情報を読み解く能力といったものが信頼性に関わるのかもしれない(だがそうだとすれば、信頼性と学歴や世帯収入は、U字を描くようにも思われる。すなわち、子供は無条件にネットを含め情報を信頼し、中間的な人々は一方的に懐疑的にみるようになり、能力が向上するにつれ、その信頼性は再び高まる)。

残念なこととして、後半の考察が前半の調査結果とあまり対応していない。先のネットの情報の信頼性などは、最終章で議論されるメディアリテラシーの問題に直接関わっているはずだ。76世代と86世代で、パソコン・ケータイについての「読む」「書く」の利用方法が逆転するという。とても興味深い指摘だが、今回の調査では何ら証明されていない。

定点調査ということで新しい仮説を立てにくいのかもしれないが、本としてまとめている以上は不十分でもしっかりと関連づけて欲しい。もしそれができないのならば、こういった貴重なデータは無償公開したらどうだろうかと思う。

日本人の情報行動〈2005〉メディアと日本人――変わりゆく日常 (岩波新書)ネオ・デジタルネイティブの誕生―日本独自の進化を遂げるネット世代

われらゲームの世代28

復活の呪文

初代ドラクエはクリアできなかったと書いたが、正確に言えば、自力ではクリアできなかったのであって、竜王自体はちゃんと倒している。なぜか。ドラゴンクエストの代名詞ともいえる復活の呪文があったからだ。

せそめけと くきばとなたて かすぬどぶ のして

!驚くべきことに、僕はその呪文を今も覚えている。たぶん、これで間違いないと思う。ロトの勇者はレベル30、いつでも竜王を倒しにいける最高レベルに達している。武器も防具も最強のはずだ(ロトの剣とか、ロトの鎧だっただろうか)。当時の友達のお兄さんが作った最強の復活の呪文である。

いつ教えてもらったのかは、はっきりと思い出せない。夏休み前の終業式の日に、下駄箱のあたりで教えてもらったような気もする。僕のクラス(あるいは学校)では、よく知られることになったであろう名文である。後々、多くの友人にこの呪文を教えてあげた記憶もある(絶対に他の奴には言うなよと口止めされていた記憶もあるが。。)

そういえば、同じ彼があるときお経を持ってきたことを覚えている。当時は心霊現象ブームがあったりして、お経を唱えると相手の前世やら守護霊やらが分かるという話だった。そこで彼が実際のお経が書かれた立派な紙を持ってきたのだが、なにせ漢字で般若心経・・・と延々書かれているから唱えようがない。 お昼休みに別の友達がそのお経を持っていなくなったかと思うと、先生に聞いたかなにかして、読み方を教わってきた。

教わってきただけならばいいのだが、アホな話で、その紙にボールペンで書き込んでいたのだった。家のものを勝手に持ってきているのだから書いたら駄目だろうといって、誰かの修正液で消した。当然、修正液が白く残るから、あれはそのうち怒られたのではないだろうか。

復活の呪文を教えてもらった時期と、お経にボールペンで平仮名を書いてしまった時期が同じかどうかはわからない。けれども、どちらもそういえば見た目は似たような呪文だ。一方はまさに復活の呪文であり、一度止めたゲームを再開することができる。さらに、誰かの呪文を入力できれば、いくらでも強い主人公をコピーできる。

お経の方はどうだろう。死んでしまった人を復活させることはさすがにできまい。仏への道、供養のための言葉だろう。当然、コピーを作るという力もないはずだ(いや、感化させて広がっていくということはあるが)。恐るべし、復活の呪文である。

ふっかつのじゅもん ロトの紋章 完全版 4 (ヤングガンガンコミックス)

2012年7月27日金曜日

われらゲームの世代27

新しいジャンル

さて、僕はこれまでドラゴンクエストというゲームを知らなかったし、ロールプレイングゲームという存在も知らなかった。僕がその頃まで遊んでいたのは、マリオやエキサイトバイクである。アクションゲームが中心であり、そう云えばいつだったか、さんまの名探偵のようなゲームをすることはあったが例外的だ(これも難しくてよくわからないゲームだった。探偵ものと言えば、後になってポートピア連続殺人事件をやった。「犯人はヤス」と選択してみたかったのだ)。

ドラゴンクエストを、長らく、僕では買わなかった。誰かから借りてやったような気がする。前田君に借りたような記憶があるから、小学生高学年になってからだ。どうして買わなかったのか、今思い出してみると、そのゲームのタイトルをよくわかっていなかったような気がする。買おうとしても、どれがそのゲームなのかわからなかったというわけである。いつゲームをしたのかも、正直にいえば、はっきりとは覚えていない。ドラゴンクエスト2や3をやった後だったかもしれない。

ドラゴンクエストは難しかった。たぶん、僕にはクリアできなかっただろう。このとき、はじめて攻略本とよばれるものを買った記憶がある。攻略本はいつから一般化したのかわからないが、徐々にゲームをするにあたって欠かせない存在となっていたのは確かだ。僕はマリオブラザーズのやり方も知らなかったし、それからスーパーマリオブラザーズにしても単調な方法しか知らず、そのうち母親が学校の教え子から聞いたとして、ワープルートの存在を教えてくれた。

攻略本は、ゲームの進行方法はもちろん、様々な補足情報が描かれている。ドラゴンクエストであれば、ユウテイ、ミヤオウ、キムコウという3人のキャラクターも登場し、独自の世界観を作り出していた(なんとなつかしい響きだ)。

攻略本のみならず、ゲーム雑誌が一般化していったのもこの頃だったのは先にもみたとおりだ。水滸伝を僕が発売日に買えたのも、ゲーム雑誌で事前に発売情報を知っていたからだ。こうした攻略本やゲーム雑誌の登場は、僕たちのゲーム生活を大きく変えただろう。何よりも、ゲームの中身ややり方が説明書とは別に詳しく提示されることになる。独自のルールを作ることはおそらく減り、ゲームのやり方が共通化していく契機になっていたかもしれない。

ちょうど新聞記事を検索していて、1988年4月5日の日本経済新聞が興味深かった。エニックスが、ドラゴンクエスト3の謎解きを勝手に掲載しようとした出版社を提訴したという。サンプリングをしていたのは確かだが、ゲームの肝になる謎解きをなんでもかんでものせられてしまっては困るという訳だ。

ドラゴンクエストについていえば、その後こうした攻略本はもとより、様々な関連グッズも生み出されていった。こちらはきっと版権管理もしっかりとされるようになったのだろう。スライムの人形やキーホルダーは言うに及ばず、鉛筆やノートなどもあったと思う。いずれも結構な値段がするものばかりだったが、今もそのうちいくつかは手元に残っている。ドラゴンクエストの3までのノートがあり、2は方眼紙だった。これにダンジョンマップを書こうと思って断念した記憶がある。だいたい、ドラクエ程度であればマップは書かなくても良い。マップが欲しいのはウィザードリィだ。

ドラクエが教えてくれた営業でいちばん大事なこと仕事は1日30分! ―お金と時間を増やすドラクエ流成功法ウィザードリィ パーフェクトパック コンプリートガイド (ゲーマガBOOKS)

2012年7月25日水曜日

われらゲームの世代26

RPGにおける選択

選択の必然性は、やがて、一本調子として批判の対象とされるようにもなっていく。この辺りはゲーム愛好家の中でも批判があり、外野からの批判としてもあったように思う。

外野の批判としては、すでに与えられた世界の中で遊ばされているというあれである。一見自由のように見えて、何ら自由はない。途中右往左往はあるが、レベルを挙げ、洞窟を探索し、向こう側の町に向かい、結局は魔王を倒す一本の道というわけである。

どちらからの批判に答えたのかは分からないが、こうした批判に対応した一つの形がマルチエンディングだったのだろう。ドラクエやFFでは採用されなかったように思うが、例えば女神転生などはマルチエンディングの形をとっていた。カオスとロー、それからニュートラルでラスボスは違っていた。

僕自身はどちらでもよかった。むしろ、マルチエンディングは複数回クリアしなくてはストーリーの全体像が捉えられない。一回で済む方が、個人的にはやりやすかった(一応補足しておくと、僕は女神転生Ⅱあたりが一番好きな世界観である。ニュートラルで人間の世界を築くのだ)。

僕にとってゲームは、多分理解すべき一つの世界であり、その意味では小説だったのかもしれない。小説を読み解くのに、一度読んだだけでは全体像が分からず、別のものを読まねばならないというのは苦痛である。できるだけ一回で理解したい。

あるいは、ゲームという意味では、オチよりもプロセスが大事なのだという主張も可能だっただろう。この考え方は、ストーリーは常に再解釈される余地があるという物語論の基本にものっとったアイデアといえる。

一本調子批判への対応は、その他には、そもそも目的がない、何をしても自由というゲームもあった。先に少し見たルナティック・ドーンやソード・ワールドはそちらのRPGということになる。これはこれで面白かったけれど、目的がないというのも退屈なところだ。自分で目的を見出して遊ぶことになるが、大体飽きてしまったような気がする。

一本調子であるということについて、いったいいかなる問題があるのか、僕にはよくわからない。ゲーマーとしては、どちらでもいい。外野からの批判に対しては、小説と同じじゃないのかと言っておけばいいような気がする。物語の構造というのは、一本調子であるかどうかなどとはまた別のところで理解されるはずだ。

物語工学論物語論―プロップからエーコまで (文庫クセジュ)昔話の形態学 (叢書 記号学的実践)

われらゲームの世代25

ドラゴンクエスト

状況はわかった。ドラクエもFFも何かしら時代の象徴であり、それは僕たちを超えて、当時の社会や経済に直接結びついていた。当時の僕たちは、それを知らずに、というかそんなこととは無関係に、ゲームに熱中していた。僕たちの記憶を通じて、社会や経済を問い直すことが出来るだろうか。遡ろう。

初代ドラゴンクエストがいつ発売されたのか、実は、よく知らない。wikiでは1986年とあるから、スーパーマリオブラザーズ(1985年)が出た後ということになる。少なくとも、僕はこのゲームを発売当日に買おうとしたり、あるいは、最初から欲しいと思っていたわけではなかった。

最初にこのゲームを見たのは、もう名前を覚えていない友人の(松井君か、松下君か、そんな名前だった気がする)、二つぐらい向こうの家に住んでいた上級生が、このゲームを遊んでいたのを見たときだった。僕は3年生か4年生の頃だったと思う。その後草を取りにいったような記憶があるから、春先から夏にかけてのことだろう。その友人は、途中から引っ越してきて僕たちのクラスに入ったはずだ。

今「草を取りにいく」と書いてみて、少し驚いた。大人になってしまえば当然草を取りにいく機会もないだろうが、子供の時代とはいえ、草を取りにいくとはどういう時代だったのだろうか。考えてみれば、春先にはいつもつくしを探しにいったものだったし、四葉のクローバー探しには日々熱中していた。隣の空き地は、突然変異なのだろうかやたらに四葉のクローバーが生成しており、八葉ぐらいあった気がする。そう考えてみると、ゲームのウエイトはそんなに大きくなかったのかもしれない。ゲームの世代と言いながら、それからゲームを通じて過去を語りながら、一方でゲームとは無関係の記憶もたくさん残っている。ある意味デフォルメされているのだろう。こうした曖昧な記憶のあり方は、ずいぶんとゲーム的、といえるような気もする。

いずれにせよゲームの話だった。はじめて見たドラゴンクエストについて、その画面をとても印象的に覚えている。当時は全く意味が分かっていなかったけれど、その上級生は、まさに竜王と対峙していた。そして、竜王の誘惑にイエスと答えたのだった。きっと何度もゲームをしていて、そこでの選択が何をもたらすのか知りたかったのだろう。

竜王の城にたどり着き、最後のボスである竜王と相対したとき、竜王は主人公に問う。「どうだ、私の仲間になるのならば、この世界の半分をくれてやろう。」通常はノーと答え、そこから竜王との戦いが始まるのだが、イエスと答えることもできる。この場合、一瞬主人公だけが存在する世界が示され、直ちに画面は暗転する。まもなく主人公はゲーム最初のラダトームの城に戻されている。王からは何をやっているのだと叱咤され、コマンドを開くと、レベルは1に戻されている。竜王に騙されたのだ。

ドラゴンクエスト系のRPGは、長らく一本調子の会話が当然だった。例えば、仲間にしてくださいよ、というキャラクターに対し、「はい」と「いいえ」のどちらも選択できるものの、「いいえ」と選択する限り、会話はループする。「私を仲間にしてください」→「はい・いいえ」→「いいえ」→「そんなことを言わずに、私を仲間にしてください」→「はい・いいえ」→「いいえ」→「そんなことを言わずに・・・」以下省略。この辺りがストーリーの一本道とも相まってよく批判の対象だったわけだが、しかし、例外的な設定も最初からあったということになる。


予定調和 定本 物語消費論 (角川文庫)

macででていたネットワーク上のHDDが見つかりませんエラーの件

備忘録。
少し前まで、ネットワーク上にbaffaloのLSなんとかシリーズを置いていた。
大きな問題もなかったのだが、ことマックに繋ぐ場合、Lion以降はtime machine機能が使えず不便だった(なお、最近の新しいものはできるらしい)。



Buffalo NAS LS-QL/R5 LionのTimemachineに対応せず
OS X Lionでの市販NAS(LinkStation LS-QL)へのTime Machineが出来なくなった



そんなわけで、先日思い切ってtime capsuleを購入したのだった(この手前に、LSなんとかを壊してしまったというやむを得ないトラブルもあったが)。 RAIDがなくなったものの、これでtime machineも使えるようになり、ひとまず満足満足、のはずだった。

ところが、理由はわからないが、mac上に過去のLSなんとかへ繋いでいた記録が残っているらしい。既に存在しないLSなんとかに、パソコンが起動するたびにアクセスしようとする。そして、「そんなHDDは存在しませんけど」とエラーが表示されるようになってしまった。

不快なこときわまりない。幽霊か。

何を削除すればいいのかわからなかったけれど、発見した。Windowsでいうところのスタートアップに関するフォルダがあった。



「システム環境設定」→「ユーザーとグループ」→「ログイン項目」



ここにLSなんとかが入っていたのだ。
削除したら幽霊は消えた。


APPLE Time Capsule 3TB MD033J/A BUFFALO 71.9MB/s RAID対応 高速ネットワーク対応HDD NAS 8.0TB LS-QV8.0TL/R5

2012年7月24日火曜日

リッスン・ファースト!

リッスン・ファースト! ソーシャルリスニングの教科書
スティーブン・ラパポート『リッスン・ファースト! ソーシャルリスニングの教科書』翔泳社、2012

最近注目されるソーシャルメディアのマーケティング利用についての解説書である。ソーシャルメディア上にあふれる書き込みをいかにしてマーケティング利用につなげるのか、いろいろとわかりやすく説明されている。

答えを一言でいえば、ソーシャルメディアであろうが旧来のマーケティングリサーチであろうが、押さえるべき点は変わらない。アンケートを配るか、それとも、twitterやfacebookの情報を効率的に集めるかの方法の違いはあっても、大事なことは、集める前の理由と、集めた後の分析であろう。「リスニング」という言葉を、「リサーチ」に変えてもだいたい問題なさそうだ。

当然、集められる情報は異なる。ただ、ソーシャルメディアの方が価値がある情報を得られる、はずもない。ソーシャルメディアの方が本音の声が聞けるという素朴な話もあるが、そんなはずもない。消費者のインサイトを捉えるというのは、本書にもあるように、調べた側が抉り出すものなのであり、それは旧来のリサーチも今回の方法も同じだと思う。

読んでいてそういえばと思ったのは、共感を得るメッセージを開発するという下りだった。最も共感が得られるであろうメッセージは、相手の言葉をそのままおうむ返しすることである。共感も何も、自分の言葉であれば最初から納得的であろう。こうした言葉をうまく拾い上げる方法としては、ソーシャルメディアは使い勝手がいいかもしれない。旧来のリサーチでも可能だろうが、メッセージの形をたくさん集めるという意味では、コストからみてソーシャルメディアの方が簡単のように見える。

ソーシャルメディアマーケター美咲 新人担当者 美咲の仕事帳ソーシャルメディア・ダイナミクス ~事例と現場の声からひもとく、成功企業のソーシャルメディア戦略~ソーシャルメディア進化論

われらゲームの世代24

新聞記事検索からみえてくること

ざっくりと新聞記事を並べてみたわけだが、20年強の内容をみていて思うのは、最初はソフトがとても売れているという社会現象の記事、次にくるのはソフトの開発状況や株価の記事、業界の市況、それから最近になると、携帯電話などの新しい競合の話がでてくる。これをみることで、ゲームの変遷を眺められる気もしてきた。もちろん他にも様々なストーリーが描かれていて興味深い。

ファミコンを最初に牽引したRPGがドラゴンクエストだったとすれば、その後を引き継ぎ、2大RPGの地位を確立し、個人的には、やがてドラクエを抜いたのがFFだったといえる。新聞記事の推移はおおよそこのイメージに対応している。特に興味深いのは、FFの記述は1990年のFF3になるまでは出てこないということである。

もちろん、これはFF3になるまでFFが売れなかったということではあるまい。すでにFF3が出る頃には、FFの評価は確立していたはずだ。けれども、日本経済新聞に載るという点において、FFの現象はたくさんあるテレビゲームの一つ、当たり前の現象になりすぎていたのである。新しいヒット作が生まれているという程度では、当然、新聞記事にはならない。

逆に言えば、ドラゴンクエストが当初から記事になっていたのは、ゲームの世界が社会的に新しく、またそのゲームをならんでまで買うということ自体が驚きであり新鮮だったからに他ならない。その驚きは反発を生み出すきっかけでもあり、その際には、きっとドラゴンクエストに対する反発や意見として提示されていったのだろうと考えられる。

その一方で、絶対数という点からみると、1997年のFF7がピークである。この頃の絶対数からすると、ドラクエよりもFFの方が記事数が総じて多い。また後で述べることになるだろうけれど、この時期はゲーム産業にとって、いくつかの点で決定的なときだっただろう。ドラゴンクエストは、6が1995年に発売された後、リメイクなどはあったものの、7がでるまでに5年かかった。対して、FFは1994年に6が発売され、1997年に7が発売され、1998年からは毎年新タイトルが発売されるという仕組みが整えられる。

細かい話では、スクウェアがFFの連続発売の仕組みを整えていったことはまず注目に値する。たしか、2つの開発チームをFFにあて、交互に製品化していくという仕組みを採用したはずだ。このころまでにはゲームソフトの開発は大規模化していたけれど、その象徴的な成果がこのころからみえはじめた。

それ以上に目に見えて感じられていたのは、この時期こそ、僕たちがFFが勝った(と言い方も変な話だが)と感じた時期だった。もう僕は大学生にもなっていたから、それほどゲームゲームしていた訳ではないけれど、この時期はとても印象深い。一つの時代が終わり、次の時代の幕開けを感じたころだった。

そして今から思い起こせば、この時期こそ、ソフトだけではなく、ハードが転換期を迎えた時期だった。次世代機競争とよばれた任天堂、ソニー、セガの競争の中、ソニーのプレイステーションが急成長し、ゲーム産業の競争構造が変わっていった。FF7が最高の記事件数となったのは、FF7がプレイステーションで発売され、任天堂に対してソニーの勝利を告げ、同時に、ドラクエとの勝負にも勝った(と僕たちには感じられた)、その時だったわけだ。


ドラゴンクエスト25周年記念 950ピースジグソーパズル

2012年7月23日月曜日

われらゲームの世代23

RPGとリセット
象徴としてのロールプレイングゲーム

さあ、いよいよゲームのメインテーマへと入ろう。RPG、ロールプレイングゲームである。当然というべきか、ドラゴンクエストとファイナルファンタジーを軸にしていくことになるが、その前に、今回は問題意識を少し確認しておこうと思う。

おそらく、今も昔も、テレビゲームに寄せられてきた多くの批判は、RPGを念頭に置いてなされてきた。最も定番と言えるリセット問題も、RPGのことを指したものであろう。それまでの多くのゲームと異なり、RPGは、まさにロールプレイング、実世界の代替物のような形で世界が構築されている。シューティングゲームをしても、それは現実世界で水鉄砲したり、お祭りのときに射的をするのとそんなには変わらない。これに対して、RPGの場合、まさにはまる、入り込むという状況が生まれる。これを異常なものと見なす人がいても不思議ではない。

考えてみれば、RPGは一人でやることが多い。対して、シューティングゲームなどはみんなでやるだろう。ここからも、RPGが何かとゲームの批判対象として取り上げられやすかったのかもしれない。実際には、しばらくの間、RPGといえども友達と一緒にやっていた気はするし、オンラインとなれば全く話も変わりそうだが。

それからもう一つ、ドラクエ以降ゲームが社会現象として認識されるようになったということも重要なことかもしれない。いつからそんなことが起きるようになったのか分からないが、お店に並んで購入するゲームソフトといえば、ドラクエ以降という印象がある。

面白そうなので、新聞記事検索でまとめて調べてみた。「ドラゴンクエスト」で見てみると、タイトルにドラゴンクエストと表記されていたのは1987年2月9日の日経産業新聞であり、「任天堂の「ドラゴンクエスト2」、即日完売店が相次ぐ――エニックスが開発。」とある。「行列」の言葉は本文にもないが、発売とともにお店に顧客が殺到したという。ちなみに、その前の記事が最初の記事で、タイトルに表記はないが、1986年6月26日の日本経済新聞、「ファミコンソフト値崩れ――半値以下の販売も目立つ」とある。内容でドラゴンクエストが取り上げられており、5500円が定価のところ、4500円位で売られているのだという。どちらかというとネガティブな記事かもしれないところがまた興味深い。

記事がたくさんありすぎるので、日本経済新聞にしぼって数量的に取り扱ってみよう。同じく「ドラゴンクエスト」でみてみると、2012年7月までで全326件がヒットした。最初の年は先ほどの1986年である。これを年毎で記事数を割り出していくと、簡単なグラフを描くことができる。個人的に、記事の話題はだんだん増えていくのかと思ったが、そういう感じでもない。新しいゲームソフトが発売されると、当然だが記事の数が増える。

記事数が増えている1988年は、ドラゴンクエスト3が発売された年である。このあたりに、行列やら恐喝やら抱き合わせやらといった社会問題が発生しているようだ。以降、1990年のドラゴンクエスト4のあたりでも同じ記述が繰り返されている。

ちなみに、対抗馬といえるファイナルファンタジーでも同じ検索ができる。「ファイナルファンタジー」で日本経済新聞を検索してみると、記事数は301件、初出は1990年とドラゴンクエストよりも大分遅い。ピークは1997年であり、FF7が発売されたときのようだ。ずいぶんとドラゴンクエストとはおもむきが違うようにも見える。

図.「ドラゴンクエスト」の記事数推移(件数:日経)
※Ⅰ:86、Ⅱ:87、Ⅲ:88、Ⅳ:90、Ⅴ:92、Ⅵ:95、Ⅶ:00、Ⅷ:04、Ⅸ:09
図.「ファイナルファンタジー」の記事数推移(件数:日経)
Ⅰ:87、Ⅱ:88、Ⅲ:90、Ⅳ:91、Ⅴ:92、Ⅵ:94、Ⅶ:97、Ⅷ:99、Ⅸ:00、Ⅹ:01、Ⅺ:02、Ⅻ:06、13:2009、14:10

2012年7月22日日曜日

グラフで見ると全部わかる日本の深層



高橋洋一『グラフで見ると全部わかる日本国の深層』講談社、2012

消費税増税法案が、先月衆議院を通過した。衆議院478議席のうち賛成は363、4分の3以上の圧倒的多数で法案は通過したことになる。法案は参議院に送付され、間もなくやはり圧倒的多数の賛成により成立するだろう。一方、新聞やテレビなどマスコミも、こぞって消費税増税に賛意を表明しており、反対する声は余り聞こえない。

新聞読者からすると、こんな状況で法案に反対するのは、余程のことだとまずは思う。反対するのは、個人的事情で現実認識に問題がある人たちか、或いは、反対により何らかのメリットを期待する人たちではないか。そんな人たちは信頼出来ないので、ベターという点でマスコミの報じる多数派に加わる。多分、日本では、こんな具合に政治は動いてきたのでは、と想像する。しかし今日では、マスコミ以外に情報は様々に入手出来る。ツイッターや、ネット上の様々な情報が、別のコンテクストを提供してくれる。テレビと新聞以外にも、別ルートで情報を入手出来るということは、実に大きな変化だと思う。例えば、この本の著者の主張は、ネット上で簡単にアクセス出来る。

この本は、消費税増税も含めて、25のテーマに付き、44のグラフを用いて、一般に常識とされたことを次々と論破していく。この、グラフを使うという点が、面白いところだ。というのは、上述の通り、マスコミの提供する常識に反する言動は、多くの人にとってまずは受け入れにくい。しかし、グラフで数値の推移や、数値相互の相関を提示されたら、否定するにしてもそれらについて考えざるをえない。多分、こうして自分で考えてみる、ということがとても大切なのだと思う。

例えば、この本では高速道路上での4月末のバス事故のことが取り上げられている。マスコミでは、規制緩和によるバス会社同志の競争激化が運転手の無理な運転に繋がった、と報じられた。しかし、この本の三つのグラフを見ると、その指摘が的外れであることが分かる。規制緩和の後、確かに貸切バスの新規参入は増加した。ところが、グラフによれば、高速バスの事故率は、むしろ低下傾向である。著者は、今回の事故は、規制緩和よりも、国土交通省などの道路管理に問題があったのでは、と指摘している。

消費増税に関連しては、ギリシャとの比較、公債依存度、債務残高、財政再建など、多くのトピックスについてグラフが提示されている。消費税増税は、決して議論の余地のない常識ではない。まずは、それらについて読み解くことから話が始まるのではないか。ムードだけで話が進むのは、そろそろ終わりのような気もする。

更にグラフについて言うと、その読み取り方は中学校段階の数学や理科・社会で誰も学んでいる。しかし、変数間の相関とか推移は、実はかなり理解が難しい。グラフは上述の通り強力な思考ツールなので、是非活用能力を身につけたいと思う。

国民が知らない霞が関の不都合な真実 全省庁暴露読本日本経済の真相バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる

2012年7月20日金曜日

われらゲームの世代22

ファミマガとファミ通

情報を提供する補完産業といえば、ようするにゲーム雑誌の登場である。当時、ゲームに関する重要な雑誌が二つあったと思う。ファミマガとファミ通である。さらに驚くべきことに、ファミマガは1985年に発行されている。ファミ通は1986年だという。僕がゲームについての意思決定を変え始めたのは、いよいよ単に年齢のせいだけではなかったのかもしれない。まさにそうした情報が外部から定型的に与えられるようになったのだ。

もはや中身は覚えていないこれらの雑誌については、Wikipediaが最高に役立つ。そうだった、これらの雑誌がいかに革新的であり、今の僕たちにとって重要な知見を提供していることか。

ちなみに、先の『教養としてのゲーム史』に引き続き、『日本を変えた10大ゲーム機』を読むと、このあたりの雑誌の成立が業務用ゲーム機の進展と重ねて記述されている。とても面白く、そういえばそうだったという記憶がよみがえる。

当時のゲーム雑誌は、新作の告知やゲーム内容の紹介、ランキングはもちろんのこと、裏技やウソテクの記載がいっぱい載っていた。これらは読者からの投稿であることも多く、結構画期的な裏技が紹介されていることもあった。僕もそれをみながらいろいろとゲームをした記憶がある。

僕たちに情報を提供しつつ、僕たちからの情報を集める雑誌。なんとインタラクティブな話ではないだろうか。インターネットが出来て、ゲームの情報はwikiでまとめられるようになったけれど、その仕組みはずっと前に確立されていたということになる。考えてみれば、時間が早くなったという以外、ゲーム雑誌の情報とwikiの情報自体はそんなに違いはない。

テレビというメディアを中心にゲームは展開した。この点については、ゲームはテレビに接続されねばならなかったし、その現実は今も変わらない。携帯型ゲーム機ですら、そうしたテレビからの離脱として捉えられるという点では、依然としてテレビを軸にして語ることが出来てしまう。Wiiについては、テレビのチャンネルとの親和性を考えることも出来る(『日本を変えた10大ゲーム機』にそのくだりがあり興味深い)。その一方で、ゲームと結びついていたのはテレビだけではなく、雑誌であったり、あるいは今であればインターネットであることがわかる。オンラインゲームはいうにおよばず、ゲームは多くのメディアとひどく親和性が高いように見える。


教養としてのゲーム史 (ちくま新書) 日本を変えた10大ゲーム機 (ソフトバンク新書 87) 幸せな未来は「ゲーム」が創る

2012年7月19日木曜日

歴史ifに学ぶ 経営の神秘

歴史ifに学ぶ経営の神秘
腰越勉『歴史ifに学ぶ 経営の神秘』丸善プラネット株式会社、2005。 

先に書いた何かの書評の際(あるいは、ゲームの世代)、たまたま検索して見つけた書籍である。とてもタイトルが興味深く中身も調べずに買ったのだが、変わった本だった。特別書評する必要もないのだが、せっかくだから感想を書いておこう。ここからいくつか新しい議論の方向性を引き出せる。

本書では、過去の歴史を現代の経営学の視点から捉え直そうとしている。その上でさらに、現代の経営に役立てられる示唆を得ようというわけである。対象となる歴史はずいぶんと多岐にわたり、持統天皇から古代ローマ、さらには毛沢東まで幅広い。いずれも、現代の経営にとって役立つ知見がある、はずだというわけだ。

面白い試みだが、内容的には少なくとも2つ問題がある。一つは、歴史を現代の経営学の視点から捉えることにどういう意味があるのかという点である。少なくとも、持統天皇に現代の経営学の知見があったはずもない。フラジャイルという言葉も知らないだろう。

もちろん、当時の彼らは知らなかったが、今からみれば彼らはそういうことをしていたのだ、ということはできる。もしそうであれば、しかし、なぜあえてそういわねばならないかを問い直す必要があるように思う。彼らの歴史でなければ見出せなかった新しい発見が必要だろう(過去に学ぶとはそういうことだ)。まさに、現代の経営にとって何が新しく役に立つのかが重要であり、それはひいては、例えばフラジャイルの批判へと繋がるはずである。天皇制もルイ・ヴィトンも同じであれば、ルイ・ヴィトンをみるだけで経営的には事足りる。

もう一つは、より根本的である。この本を購入したのは、歴史のifにひかれたからであった。本書を貫通するテーマが編集であるという点に象徴されるように、歴史はつねにifを呼び込んでいる。武田勝頼が真田昌幸の言うことを聞くか、小山田信茂の言うことを聞くか。それこそが必然ではなく、どちらでもありえたifの世界なのである。

究極の意思決定にifを呼び込み、あるいは違う世界がありえたかもしれないことを問い直すこと。経営の本質はたぶんこういうところにしかない。経営者の役割は必然の世界を歩くことではなく(であれば、誰でもできることになる)、常にifが広がる世界の中を少しでも進んでいくことであるはずだ。

せっかくのifを封じ込め、歴史を必然として描いてもあまり面白さはない。ましてや、ことさら現代の経営の論理で合理化しても仕方がない(もちろん一方で、本来の歴史研究であれば、この意思決定がいかにして導かれたのかを詳細に考察するということもできるだろう)。経営の神秘性は、もしそういうものがあるとすれば、ifに開かれた可能性にこそ見出せる。

新版 経営行動―経営組織における意思決定過程の研究創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)バーナード (経営学史叢書)

われらゲームの世代21

スーパーマリオブラザーズ

そう、マリオブラザーズからしばらく経って、不朽の名作ともいうべきスーパーマリオブラザーズが発売されたのだった。それでも僕はまだ小さかったから、直接的にこのゲームを欲しいとは思っていなかったはずだ。はっきりと覚えているのは、当時祖父から電話がかかってきて(かけたのかもしれない)、行きつけのおもちゃ屋でなんでも人気のゲームソフトが入ったからと言われて購入したと言われたのだった。よくはわからないが、土管に入ったりするゲームだ、と言われた。

そのゲームが何であるのか、僕ははっきりとわからなかったが、もしかするとスーパーマリオブラザーズかもしれない、と期待したように思う。この記憶には意味がある。つまり、僕は事前にスーパーマリオブラザーズについての知識を持っており、それが少なからず欲しいと思っていた(だからこそ、期待した)わけだ。

後のゲームでは、事前に欲しいゲームを識別し、発売日近くに購入するという意思決定をとるようになった。中学1年生のころの水滸伝であれば、その意思決定は確実になされている。その一方で、おそらくどこかの時点までは、僕は事前に欲しいゲームを識別することができていなかったはずである。それは子供だったから当然のことであったし、おそらく、当時は事前にゲームについての情報を集めるということも容易ではなかった。友達が面白いと言っている程度の情報しかなかったのではないだろうか。この場合、発売前の情報などおよそわかるはずもない。

スーパーマリオブラザーズの発売は1985年である。信長の野望もこの時だが、のぶやぼは僕は中古で買ったから、当時は存在を知っていない。どうやら、僕は小学生2年生か3年生のころにかけて、ゲームの購入についての意思決定を確立していったことになる。これまでみてきたマリオブラザーズはもちろん、エキサイトバイクやじゃじゃ丸君といったゲームは、ほとんどが友達の家で遊んだか出会いがしらの出会いであって、事前に調べていたものではない。

時代が変わりつつあったということだろう。僕の成長というだけではなく、時代が成長(時代が成長するかどうかはわからないから、さしあたり変化ぐらいにしておこうか)してきたのである。具体的にいえば、ゲームを取り巻く補完産業が立ち上がり、ゲームに関する情報がまとまった形で提供されるようになってきたのだ。子供だった僕たちにまで。いや、子供だった僕たちを、まさにターゲットにして。

スーパーマリオ 352ピース スーパーマリオ 352-45

2012年7月18日水曜日

われらゲームの世代20

ファミコンの前のゲーム

もっとも、このような視点はちょっと極端かもしれない。ファミコンができる前から、スタンドアローンのゲーム機(のようなもの)はたくさんあった。僕も、いとこと一緒に買ってもらったゲーム機があった。当然ファミコンが出る前、小学校に上がる前のことになる。

当時、僕が買ってもらったのは、恐竜の目を盗んで卵を集めるという単純作業のゲームだった。恐竜に見つかるとゲームオーバー、時々始祖鳥が飛んできて集めた卵を盗んでいく。火山も噴火して、それに当たるとやはりゲームオーバー。今でもありそうな設定だが、少なくともそのゲーム機は今のような完全液晶ではない。

キャラの動きのパターンは事前に用意されており、それ以外の表示はできなかった。多分、自分の領地から恐竜の卵までは4、5歩になっていて、火を吐く枠もトリが飛ぶ枠も決まっていた。大事なことは,そこが光るタイミングを予測し、ゲームオーバーにならないようにすることであった。いとこは確かドラキュラのゲームを買っていたが、仕組みは同じようなものだったと思う。

でもそこまで思い出してみると、これら恐竜のゲームもドラキュラのゲームも、遊び方は一つしかなかったような気がする。マリオのようにルールが変更されることは多分ない。卵を集めずにじっと自分の陣地でゆっくりしていることは可能だが、そんな遊びをする人はいないだろう。何かをせねばならないのであり、そうである以上、卵を取りにいくしかないのである。そう考えると、ルールを変えられるようになったのはマリオブラザーズ以降だということになる。

思いつくままにゲームの連想を続けよう。エキサイトバイクを遊んでいた頃、あるいはもう少し後になって買ったゲームに忍者君とジャジャマル君がある。いずれも忍者シリーズということになるが、基本的には別の仕組みを持ったゲームである。だが同時に、忍者君とジャジャマル君は兄弟という設定だったと思う。ようするに、それぞれのゲームが大きなストーリとしては包括されていたわけだ。それがどういう意味を持っていたのか、もはや覚えていない。けれども、今思えば、ゲームをシリーズ化したり、大きな世界感の中に位置づけていくという方法は、ずいぶんと昔からあったということになる。

個別のゲームそのものは、定番ともいうべきゲームの仕組みを兼ね備えている。時代を経たこともあり、マリオブラザーズからはずいぶんと洗練されていた。特にジャジャマル君はマリオブラザーズに似た画面構成になっていたが、敵のやっつけ方、それからアイテムの存在などいろいろと新しかった。確か条件を満たすとガマガエルを呼び出すことができ、このときはジャジャマル君は無敵状態であらゆる敵を倒すことができた。マリオもスーパマリオからはスターが登場することになったが、似たような仕組みだったと思う。

忍者くん魔城の冒険 じゃじゃ丸の大冒険

2012年7月17日火曜日

われらゲームの世代19

エキサイトバイク

少し話が前後してしまったが、競争とルールを意識させたものといえば、エキサイトバイクを覚えている。このゲームはF-1に近いゲームだが、その仕組みはずいぶんと異なっていたように思う。対戦ができたかどうかは覚えていない。けれども、コンピュータが対戦相手として登場し、バイクという設定上、ぶつかると倒れてしまう。当然、倒れると起き上がるまでに時間がかかり、その間にコンピュータのバイクにどんどんと抜かれてしまう。そこで、うまく倒されないように、それから相手をうまく倒しながら、先に進む必要があった。

バイクが倒れると、ライダーがあくせくとバイクを立て直そうとする。それがとても臨場感を作り出していた。後少しというところで、後ろからまたコンピュータが動かすバイクにぶつけられていらいらしてしまう。いつのまにかAボタンを連打している。それが意味があったのかなかったのかわからないけれど、ずいぶんとみんな熱くなってゲームしていた。

エキサイトバイクというゲームにはもう一つ特徴があった。それは、自分でレースのコースを作れるという機能の存在だった。自分で山を作ったり、棒をおいたりしてレースをアレンジできる。そのアレンジしたコース上の中で、コンピュータたちと勝負するのである。一人だけで走ることもできたと思う。

レースのコースを作れるという仕様は、自分でゲームを作ることができるという点で画期的だった。マリオにしても、確かにそのゲームをどのように遊ぶのかは僕たちの自由にゆだねられていたが、エキサイトバイクはもっとゲームそのものを加工できた。もちろんそれは、作り手が認めた範囲であることは言うまでもないが、それでも僕には十分に面白かった。もしかすると、ゲームを作ってみたいという欲求はこのあたりから生まれているのかもしれない。

ゲームを作ることは、当然、ゲームに対して超越的な立場に立つことを意味する。先の没入と超越という話で言えば、創作は超越であろう。コースを造り、自分たちをお客とよび、楽しむ。そんな世界が急に出来上がっていった。

この頃のゲームは、当然ながらそれほど大した機能は持っていない。F-1もゴルフも、それから当時は何の興味もなく、もう少し大きくなってから誰かからもらったベースボールや麻雀も、今のゲームとは及ぶべくもない。それでも当時は面白かった。

それが新しかったということもあるだろうし、そのような形でゲームにできるということが画期的だったのかもしれない。特に、F-1やエキサイトバイクをゲームにするというのはすごいことだったのではないかと思う。多くの人にとっては、およそ体験のしようのない別世界のものだったはずだからである。

今であればシミュレーションの名の下に、何でも疑似体験ができる。けれども、当時はそうではない。それを見て熱狂するしか方法のなかった人々が、それをゲーム上とはいえ自分でもできることになったとき、それをどのように見たのか、僕は小さすぎて考えたこともなかったけれど、大きなことだったような気がする。

雪片曲線論 (中公文庫) ファミコンミニ エキサイトバイクファミコンミニ ゼルダの伝説1

検察の正義

検察の正義 (ちくま新書)
郷原信郎『検察の正義 (ちくま新書)』、2009

近年、ライブドア事件や小沢事件を通じて、検察や司法が問題視され、批判されることも多い。しかし、批判するのは恐れ多いという感覚の人も、実際は少なくない。検察に目を付けられること自体、既に何らかの負い目がある筈だ(お前も悪じゃのう、という悪代官と悪徳商人)と考えるのだろう。「火のないところに煙は立たない」という慣用句で、検察批判を批判する人もいる。

この本は、これまでの検察や司法が、なぜ一般人とは別世界の正義の砦であり得たのか、明快に説明してくれる。そして、そこから、なぜこの今、突然のように検察や司法が批判の対象となり、しかも対応が迷走しているのか、よく見えてくるように思う。

「普通の人や普通の企業が社会内で起こす問題を解決するのではなく、社会の外縁部で起きる特殊な問題を、特殊な方法で解決するというのが、日本の司法だった。」と著者は書いている。これまで司法は、主に殺人や放火など、社会の外縁部で起きる非日常的な世界の問題を処理してきた。社会の中心部の問題は、司法とは別の形で解決していたのだと。こうした形で、これまではうまく回ってきたのだ。

それが、大きく変わりつつある。司法が、社会の中心部の問題に関わらざるを得なくなった。その例として、著者は犯罪被害者・遺族との関係や、政治・経済関係の問題を取り上げている。90年代以降、犯罪被害者・遺族は犯罪被害者基本法などによって、次第に刑事司法における当事者的な立場が認められるようになった。被害者・遺族が、刑事司法の領域に直接入り込んでくるようになった。又、特捜検察が扱ってきた政治家、官僚の汚職摘発は、政治家の活動変化に伴い、悪代官ばりの贈収賄で立件することが困難になった。更に、独占禁止法や金融商品取引法など、経済活動に関するルールに関連して、制裁を科すことが必要になった。

こうした急激な変化に、司法が対応できずに今や迷走している。社会の中心部の問題については、殺人や放火などと異なり、「検察の正義」によって処理することが困難である。社会の中心部に関わるライブドア事件や小沢事件などの場合では、強制捜査や起訴自体により、重大な社会的、経済的、政治的影響が発生した。「悪者」を排除したり更正させる場合と異なり、検察が正義を独占して話を完結させるには、話が複雑すぎるのだ。

著者は、検事を20年以上勤め、東京地検特捜部なども歴任。その体験を踏まえて、「検察の正義」が通用しなくなりつつある現状を分析している。又、著者の個人的なキャリアも書かれていて興味深い。最終章には、長崎地検に次席検事として勤務した時の体験が書かれている。「長崎の奇跡」と題されたこの章では、今後の検察のあり方に対する展望が語られている。この章は、検察に限らず一般の組織運営においても十分有用な展望だと思い、共感を覚えた。


誰が日本を支配するのか!?検察と正義の巻 ドキュメント検察官―揺れ動く「正義」 (中公新書) 特捜検察 (岩波新書)

2012年7月16日月曜日

日本を変えた10大ゲーム機

日本を変えた10大ゲーム機 (ソフトバンク新書 87)
多根 清史『日本を変えた10大ゲーム機 (ソフトバンク新書 87)』、2008

さきに『教養としてのゲーム史』を紹介したが、本書はその前に書かれている。完成度は断然こちらのほうが高いと思う。とても興味深い内容だった。ゲーム機の歴史を10台のハードを軸にして描いているわけだが、あまり知られていない事実も含め、そのストーリー展開に引き込まれる。 

個人的に分かっていなかったのだが、ファミコンはずいぶんと高性能の機械だったようだ。CPUはともかく、GPUについて先行的な投資をリコーを含め行ったという。8色しか色が出ないと思っていたが、64色可能だった。

ファミコンの成長にあわせた雑誌やマンガといった補完産業の立ち上がりもまとめられている。高橋名人や毛利名人の下りはもはやなつかしいとしか言いようがないが、当時のビジネスの裏側をみる事ができる。

近年の携帯型競争やwii・PS3の競争についてもわかりやすい。既存の資産が強みになるのか、それとも足かせになるのか。他の資産がシナジーを効かすのか、それともやはり足かせになるのか。注意深く判断すれば答えが見えるというわけではなく、むしろ、注意深く判断したからこそ傷が大きくなってしまうようなこともあるようだ。

最後の議論をふまえると、ハードメーカーとソフトメーカーの関係性が変わりつつあることがよくわかる。すべてのハードに同じソフトを提供するマルチプラットフォームが当たり前になりつつある今、ハードメーカーの戦略は新たにならねばならないといえる。

任天堂 “驚き”を生む方程式 マーケティング革新の時代〈2〉製品開発革新イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)