ラベル

2012年6月29日金曜日

勇気ってなんだろう

勇気ってなんだろう (岩波ジュニア新書)
江川紹子『勇気ってなんだろう (岩波ジュニア新書)』、2009

著者は、フリージャーナリストであり、テレビや週刊誌などで活発に活動されている。最近、オウム真理教事件の指名手配犯人が続けて逮捕された際には、著者のコメントが注目された。何しろ事件では、著者は、その取材を通じて教団から敵対視され、命まで狙われている。ホスゲンという毒ガスを、夜間にホースで家の中に流し込まれたのである。幸い発見が早く、流し込まれた量は少なくて命拾いした。

こうした経緯を思うと、著者が「勇気ってなんだろう」と考えたり、又、事件の体験から何か確信を手にしたことは十分ありそうだ。しかし、この本は、勇気に関しての自身の体験報告ではない。それぞれ無関係の6人の現代人等(一件は複数の人々)が取り上げられて、各人の体験や考え方を著者が取材し、それをルポタージュという形で紹介している。その人物名と、それぞれの話題をまとめると、以下の通りである。

1 野口健さん・・アルピニスト、エベレスト登山や富士山の清掃登山。
2 山本譲司さん・・元国会議員、政策秘書の名義借りで懲役刑。現在は障害者支援。
3 蓮池透さん・・拉致被害者の薫さんの兄。家族会の一員として活躍。
4 仙波敏郎さん・・愛媛県警の裏金問題を告発した現職警官。現在は定年退職。 
5 高遠菜穂子さん・・ボランティア活動中のイラクで、武装勢力に囚われる。
6 イスラエルの人々・・男女徴兵制のイスラエルで、兵役を拒否する人々。

この本は、中高校生など、若い人を対象としている。著者は、大人の一人として前書きで次のように書いている。「何をかくそう私も、しばしば不安になり、迷い、気後れし、後悔している大人の一人です。他の人たちの発言や行動を聞いたり見たりして、どうしてこんなに勇気があるんだろう、とか、この人の勇気を私も分けてもらいたい、と思ったりすることがよくあります。」と書いている。だから、その人たちの話を聞いてみることにしたのです、と。

命がけで取材してきたジャーナリストが、勇気を分けて貰いたいとまで賞賛する人物たち。彼らはどんな考えを持ち、とんな生き方をしているのか。多分、そうやって他の人の現実にまで想像を広げていくことが、何より勇気の発生源のような気がする。


それでも僕は現場に行く 獄窓記 (新潮文庫) 救世主の野望―オウム真理教を追って

われらゲームの世代8

のぶやぼ

のぶやぼは、やはり新鮮だった。当時は漢字表記もできないから、「おだのぶなが」とひらがなで表記される。年貢の率を上げるとすぐに民の忠誠度(「たみちゅう」と表記されていた)が下がり、一揆が起きた。「のぶながさま、たみがさわいでおりますぞ」、とよくアナウンスされた。後、そういえば尾張も「おわり」と表記されていたから、僕にはその意味が分からなかった。いつも画面の上の方に「おわり」とでていて、何が終わりなのだろうかとずっと思っていた。今思えば、なんのことはない信長が治めている尾張国ということだったわけだ。

ゲームの仕組みはシンプルで、石高のパラメータを上げて税率に応じた兵糧や金をもらい、それで兵を雇って力を蓄える。隣国より強くなったと思ったら攻め込み、領土を広げる。だいたいこの繰り返しである。国の数が増えてくると作業がめんどくさくなるので、途中からはコンピュータに統治を任せることになるのだが、コンピュータの要領がとても悪かった(ような気がする。だが、逆だったかもしれない)。コンピュータの統治が優れていたのは、水滸伝の方である。ちょっと資金と人員を割り当てておけば、瞬く間に国力が増大した。

後のシリーズでは、ゲームの後半にも飽きがこないようにいろいろと工夫がなされていった。残った国が弱者連合を組んで合併してしまうという仰天プランもやがて組み込まれた。その必要があったのかどうかわからないが、多くの人が後半がつまらないと思っていたということでもあろう。現実には、後半こそきっと面白いはずだ。貧しい生き死にの世界よりも、天下人としての地位を確立して、楽しく遊べた方がいい。(それとも、それでも昔を懐かしむのだろうか)。

僕が中古で買ったのは、正式名でいえば『信長の野望・全国版』というゲームソフトだった。全国版というぐらいだから、多分ローカル版もあったのだろう。実際、このゲームでは、近畿エリアぐらいまでのバージョンと、全国版と二つの範囲を設定できた。もともとはパソコンでヒットしたゲームだった。

その後、信長の野望は先にもいったようにシリーズ化され、続編が続く。三国志は数字を重ねていくこと(三国志1、三国志2、三国志3・・・)になるが、のぶやぼは数字はつかず、副題が新しくつけられるという仕組みだった(信長の野望・全国版、信長の野望、戦国群雄伝・・・)。どうしてこういう形にしたのか興味があるところだが、まあ偶然だろう。

たくさんののぶやぼのなか、一番印象に残っているのは、この後にでた『信長の野望・戦国群雄伝』である。これは本当に良く遊んだ。戦国群雄伝は、中古ではなく,当時近所に新しくできたおもちゃ屋(名前は忘れたが、トイザラスのようなものだろう)で発売してすぐに買った。この頃には、ゲームも決して定価では売られなくなっていたように思う。ソフトそのものの値段は上がっていたが、一方で、販売価格は値引きがあたりまえになっていた。

今から思えば、新しいおもちゃ屋ができ、それは多分チェーンオペレーションによって運営されており、メーカーに対しての交渉力を持っていた。そのころはまだおわりやもあったし、任天堂は卸売業をうまくマネジメントしていたけれども、その力がだんだんと変化していた頃だったのだろう。中古ソフトが出回るようになるということ自体、ずいぶんとゲームを取り巻く状況が変わってきたことを意味していた。

さっそくwikiで調べてみると、戦国群雄伝は1988年に発売されたとある(それで思い出した。戦国群雄伝には裏技で本能寺の変があった)。まだファミコンの全盛期であり、任天堂はその後スーパーファミコンを投入し、盤石のゲーム帝国を築き上げるころである。小売業者の力の増加も、それから中古ソフトの登場も、当時はむしろ補完産業が成長しているといった感じだったのかもしれない。当時のことを調べてみると、今のゲーム業界を考えるための良いアイデアが見つかるような気がする。


 コーエーシリ-ズ 信長の野望 戦国群雄伝 コーエー定番シリーズ 大航海時代

2012年6月28日木曜日

われらゲームの世代7

中古という新しさ

こうして三国志は僕の記憶に強く残っているが、もっと強く残っているのは『信長の野望』(通称「のぶやぼ」)の方である。こちらはどこではじめてやったのか覚えていない。もしかすると、三国志を遊んだ時、友達の家にのぶやぼもあり、遊んだのかもしれない。よく覚えていない。

覚えているのは、それからどのくらいだったかしばらく経った頃、家の近くで中古ゲームソフトの販売会が行われたのだった。今思えば変な話だが、近くにデイリー山崎のお店があり(当時は、デイリーではなく、駄菓子屋といった程度だったかもしれない)、そこに数週間前から張り紙が出された。来る○日に、中古ゲームソフトの販売会を行います。販売だけではなく、確か、買い取りもしますという話だった。

中古販売や買い取りの話を聞いたのはそれが始めてだったから、とても印象的だった。当然、周りの友達も含め、みんなで当日見に行ったのを覚えている。基本は子供相手の商売だから、ずいぶん儲かったに違いない。特に買い取りに関しては、明確な金額などあってないようなものだ。書いていて思い出したが、僕も10個ぐらいいらないゲームソフトを持っていって、さらにいくらかお金を足して、多分、ジャンプのゲームを買った気がする。ゲームボックスは片付いたが、ずいぶんと損をした取引だった。

まあそれはそれでいい。とにかく、販売されている中古ソフトの一つに、のぶやぼがあったのだった。僕は色めき立ったが、金額は8500円。はっきりと覚えているところが正直おかしい。その金額に相当なインパクトがあったのだろう。普通のソフトは定価で4000円ぐらいだったはずだ。到底手が出る値段ではなかった。定価は、おそらく9000円強だったと思うから、中古でも意外に高く売られていたことになる(9800円か)。

考えてみると、ファミコンのゲームは当初ほぼ一律の価格設定だった。4500円が平均だったのではないだろうか。これがやがて崩れていく。どういう経緯なのかはわからないが、データ容量が大きくなったり、あるいは作り手の作業量が増えたのかもしれない。いつものようにwikiで調べてみると、例えばドラゴンクエストはすでに5500円からスタートしていて、3で5900円とある。ロムの原価がどの程度だったのかは知る由もないが、多くは人件費だろう。この手のデータから作られる商品は戦略的な価格設定が可能であり、それによって利益は大きく変わるはずだ。このあたりは任天堂がうまく管理していたのだろうか。

もちろん、当時はそんな価格のことを考えるほどの知識もない。とりあえずジャンプのゲームを買い、それはそれで満足していた記憶もあるが、一方でのぶやぼも忘れられなかった。幸運だったのは、その日は多分夏休みかなにかで、神戸から祖父母がこちらに来てくれていたことだった。家に帰ってそれとなく(いや、多分にそれこそ戦略的に)のぶやぼの話をすると、それでは、ということで祖父が話に乗ってくれた。二人して販売会に取って返し、めでたく、僕はのぶやぼを手に入れたのだった。暑い日だったと思う。

僕が最初に手に入れた光栄のソフトは、この中古の信長の野望だった。定価であれば9800円(おそらく)。印象的なカセットで、普通のカセットよりも頭が長かった。今思えば、データ容量が多かったということだろう。それだけ値段も高くなる。イラストも印象的で、顔のない鎧兜が描かれていた。後のシリーズはすべて人が描かれていたことを思うと、この顔のない鎧兜は何か示唆的でもある。


信長の野望・全国版 コーエー25周年記念パック VOL.1 維新の嵐 信長の野望 全国版 伊忍道 信長の野望・革新 マニアックス

2012年6月27日水曜日

mac book airでmp4を再生する方法

どうしてなのかよくわからないが、mac book air(lion)にネットからダウンロードしたmp4のファイルを読み込むことができない。調べてみると、quick timeでは駄目なようだ。デフォルトでインストールされているDVDプレイヤーというソフトでも駄目だった。

それではというわけで、real playerをダウンロードしてみた。ネット上を見ると、これでmp4が再生できると書いてある。だが現実はどうも違うらしい。残念ながら再生しようとするとエラーになってしまった。


ホームページでは再生できると書いてあるように思うのだが、、、有料版のこと?
FLV AVI MP4 動画再生 フリーソフトreal player


それではそれではということで、vmware fustionでwindows7を立ち上げ、そちらに改めてreal playerをインストールした。なんとまあ手間な話だが、これでようやく再生できるようになった!

ところがである。よくわからないが今度は音が出ない。これはreal playerの問題ではなく、vmwareの問題である。ネットで見ると、vmware toolsで何かする必要があるようだが、あいにく方法がよくわからない。ドライバがないということだろうか。

ほとんど諦めたのだが、どこかにもっと別なフリーソフトがあるかもしれない。改めて検索してみて、ついに見つけた(ようだ)。VLC。素晴らしい。


VideoLAN -offical page
[このプロジェクト、および非営利の組織は, ボランティアにより構成され、開発とプロモーションをフリーで行うオープンソースのマルチメディアソリューションです。]


ようやく問題が解決した。実に無駄に時間を使ってしまったが備忘録がてら。

VMware Fusion 4 TMPGEnc MPEG Editor 3

われらゲームの世代6

中古の信長の野望
三国志の記憶

最初に僕が光栄のこの手のゲームソフトで遊んだのは、近くの友人の家で、三国志をやったときだったと思う(もしかしたら、別の友人の家だったかもしれない)。彼等にはいずれもお兄さんがいたから、たぶん、お兄さんが遊んでいたゲームを見て、彼等が遊び始めたのだろう。

三国志や信長の野望は、僕が当時知っていたいかなるゲームとも異なったタイプのゲームソフトだった。多分、小学生中学年の頃にそれに出会ったと思う。それまでのゲームというと、アクションゲームやシューティングゲームがほとんどだった。マリオブラザーズのようなゲームは、それはそれでもちろん面白いゲームだったが、今となってみると、僕はこの手のゲームがそんなに好きではない。それから、当時はすでにドラゴンクエストとファイナルファンタジーが大人気だった。こちらの話にそれると別途話は長くなりそうだから、ちょっと置いておこう。いずれにせよ、ドラクエやFFとも違い、三国志や信長の野望は、シミュレーションゲームと呼ばれる僕にとっては未知のタイプの、しかしおそらく、僕の好みにあったゲームだった。

当時は、三国志という物語も知らなければ、織田信長もせいぜい授業で名前がでてきた程度だ。そういえば先に紹介した『中国化する日本』では、織田信長を含む戦国時代の英雄がいかにたいしたことがなかったかについても書いてあって面白い。農民代表で土地争いをしていただけというわけである。楽市楽座?、元だったらすでに世界で実現しようとしていましたけど何か、と。(なお、この本では、信長の本質は本願寺との抗争にあったとみる。しかも、このさい、本願寺は古くさい過去の象徴ではなく、むしろ、グローバル化の可能性であった。逆に、信長こそが過去の遺物であり、我々が知る歴史観は、基本的に逆転しているという。大変興味深い)。僕たちが好きな戦国時代は、多分ゲームで培われた戦国時代なのだろう。

ちょっと話がそれたが、さて、三国志の説明書には、赤壁の戦いが云々と書かれていたのを覚えている。それがなんだか良くわからなかったが、友達は劉備で遊び始め、僕には曹操を薦めた。大体こういう場合、ゲームの主がメインキャラクター(マリオのように)をとり、遊びにいった友達はサブキャラクター(ルイージのように)をとるのが普通だったから、僕の中では、劉備がメインで、曹操がサブなのだろうという漠然とした印象を持った。

確かに三国志は、多くの場合劉備を中心に描かれる。だが一方で、魏の曹操の方が、人物や歴史的な結果としていえば主人公的でもある。陳寿による(三国志)正史は、人物伝ではあるが魏と曹操を軸にしていると聞いたような気もする(こちらはそう云えば読んだことがない。)やはりこのあたりはwikiに詳しい。当初蜀に仕え、その後晋に仕えたとある。晋の人間が魏を正統な王朝として捉えるのは当然だといえる。

なんにせよ、仁の人といわれるととたんにうさんくさく、僕はあまり劉備が好きではなかった。むしろ、治世の能臣、乱世の姦雄と呼ばれた曹操の方が好みにあった。今思うと、こういう感覚は、あの日、あの時、曹操でゲームをしたからかもしれない。あの時、もし友達が曹操のことが好きで、むしろ劉備でゲームしたらといっていたら、僕は劉備のことが好きで、むしろダークな感じの曹操を嫌うようになったのかもしれない。もし友達がもう少し三国志のゲームの仕組みを知っていて、曹操の方が人材が豊富だし、国力も豊かだということを知っていたら、僕のその後の選択は変わっていたかもしれない。

そういうわけで、三国志はその後図書館に行って全館借りて読んだし(誰が書いたものかは覚えていないが、演義も読んだ)、友人のうちに置いてあった横山光輝の漫画三国志も全部読んだ。顔がみんな同じなのには驚いたが、面白い漫画だった。

中学校の2年生か3年生の頃、横山光輝の『水滸伝』も読むことができた。当時は、教室毎にみんながもちよって図書の貸し出しをできるようにするという仕組みがあった。普通は小説や歴史本で、アルセーヌ・ルパンの推理小説とか、日本の歴史といった本が置かれていたのだが、あるクラスにはなぜかある程度教養に関わりそうな漫画本がおかれていたのだった。水滸伝はその中にあった。どうやって読んだのか覚えていないし、全巻読んだ記憶もないけれど、多分誰かに借りてもらって読んだのだと思う。


三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)三国志演義〈1〉 (徳間文庫)横山光輝三国志大百科 永久保存版

2012年6月26日火曜日

われらゲームの世代5

ゲームを語ることで何を語れるか

今更、遥か昔のゲームソフト、水滸伝を語ることにどういう意味があるのか、今のところ僕もよくわからない。最初にも述べたように、それで懐かしさを感じて終わりではなく、僕たちは今に戻ってこなければならない。

とりあえず書き始めてみたのだが、水滸伝を手がかりにして、いろいろと記憶がよみがえることは確かだ。ゲームの存在が僕の記憶をたぐり寄せたり、それから他の記憶につながったり、あるいは今、実はネットで検索しながら記憶の正確さを補完している時、新しい情報を手に入れられている。先の一文では、最近の水滸伝小説の状況を知ることができた。北方謙三が水滸伝の続編的小説を次々に書いているようだ。大変興味深い。こうした新しい発見は、今だからこそと言えるかもしれない。昔話を「語る」ということにはそれなりに新しい発見を伴うのだろう。

その他で思い出したことと言えば、例えば、水滸伝というゲームソフトは、それほど売れたわけではないのだろうけど、僕が大学生の頃に水滸伝2が続編として発売された。ゲームの仕様は少し変わってしまったが、それでもこれも面白いゲームだった。だが興味深いことに、こちらのゲームについての記憶はほとんど残っていない。最初の水滸伝よりもずいぶんと最近の話だし、確かに購入してゲームをしていたにも関わらずである。これはどうしてだろうか。 

おそらく、水滸伝2は僕の人生と強く結びつくことなく流れていってしまったのだろう。思い出せるのは、最初の水滸伝の方ばかりだ。アンケート手紙を書いたことも覚えている。結局投函はしなかった(切手を買ってはる必要があったから)と思うが、そこに、ぜひ水滸伝2を出してほしいと書いた。後日、友達に水滸伝のゲームソフトを貸した際、それを見られてちょっと恥ずかしい思いをしたような記憶も思い出せる。

ゲームは僕にとって記憶のラベルであり、それを通じて何かを引っ張りだせる。あるいは、他の要素を繋ぎ合わせ、新しい何かをみつけることができそうだ。こうして公開するということは、他の方からもこうした繋ぎ合わせや発見の契機をもらえるのかもしれない。シュンペーターばりに、新結合といってみようか(もちろん、ラベルの飛躍である)。

せっかくだから、もっと思い出せるだけ思い出してみよう。一種の連想だ。僕は、あの期末試験の初日に、水滸伝というゲームソフトを購入して遊んだ。そもそも、水滸伝を買おうと思ったのはなぜだっただろう。その前に、三国志と信長の野望という今も続く光栄の定番ゲームソフトを遊んでいたからだ。

では、その三国志と信長の野望を知ったのはどうしてだろうか。ここまで遡ると、僕はもう少し新しいエピソードを思い出す。

喪失とノスタルジア - 近代日本の余白へノスタルジアの考古学大正ロマン手帖---ノスタルジック&モダンの世界 (らんぷの本)

2012年6月25日月曜日

われらゲームの世代4

水滸伝をすべきかどうか

その一件目の電気屋には、水滸伝は売られていなかった。仕方がないので、地元の玩具屋、おわりやに行った(そういう名前だったと思う。こまつやだったかもしれないが、もう思い出せない)。おわりやは、大きな店舗のおもちゃ屋だった。そういえば、ここではミニ四駆の大会も開かれていて、よく行った記憶がある 。

さすがはおわりや、水滸伝はあった。店員に、今日入荷したばかりなんだよ、よく知っていたねといわれたのを覚えている。多分ありがとうといって購入し、家に帰った。

さて、買ったはいいが、どうしようかと改めて迷うことになった。なにせ明日もテストなのだ。その準備をしなくてはならないというプレッシャーもある。そこでということで、まずは説明書だけ読むことにした。ゲームはしない。今のゲームソフトで説明書を読むことがあるのかどうかわからないが、当時はよく説明書を読んだ。それ自体が楽しかった。ゼルダの伝説の説明書や、ウィザードリィの説明書などはよく覚えている。ドラゴンクエストなども読ませる説明書だったと思う。それは、けっして無機的な操作手引きではなかった。一つの読み物として完成されていた。今思うと、ずいぶんと優れたライターが書いていたのかもしれない。今もそうなのだろうか。

説明書を読み終わると、当然、僕は次の意思決定に改めて迫られることになった。少しだけ、ゲームをしてみるべきか。それとも、テスト勉強をするべきなのか。結局、少しだけ、ゲームをしてみることにした。まずは、最初のオープニングだけ、次は、最初の出だしを10分程度、20分程度、夕ご飯まで。

どこまでゲームをしてしまったのかは覚えていない。けれども、おそらく、ある程度は遊んでしまったのだと思う。多分テストの出来も良くなかったはずだ。基本的に、期末試験のできはいつも悪かった。

僕の通っていた中学校では、各学期に中間試験と期末試験の2つが用意されていた。中間試験は5教科、期末試験は音楽や体育などもあって8、9教科だった。ご丁寧に、テストの結果はランクづけして返される。一学年2,300人ぐらいいたと思うが、これを10等分し、点数の高い順番にランク10、ランク9と分類される。一ランク2、30人ということになる。

中間試験はだいたいランク10だった。けれども期末試験になると、ランク7、8ぐらいに下がる。これを繰り返していた気がする。いつだったか、先生と個別面談があったときに、油断しやすいタイプというようなことをいわれたのを覚えているが、多分その通りだと思った。もう少し正確に言うと、油断しやすいというよりも、基本的にモチベーションは低い。通常が7、8ぐらいなのであって、成績がいいのは無理をした結果なのである。

水滸伝 8 青龍の章 (集英社文庫 き 3-51) 楊令伝 10 坡陀の章 (集英社文庫) 岳飛伝 一 三霊の章

「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか

「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか (幻冬舎新書)
日本映画専門チャンネル『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか (幻冬舎新書)』、2010

今や日本を代表する映画(およびテレビドラマ)となった踊る大捜査線について、撮影関係者、映画関係者、更には有識者がそれぞれに筆を執った「踊る大捜査線」論である。興味深いことに、決して踊る大捜査線を褒め称える、あるいは成功理由をありきたりの枠組みで語るというだけではなく、批判的な側面からも議論が進められている。

一番批判的なのは脚本家/映画監督の荒井晴彦氏だろうか。冒頭からヒットの理由がさっぱりわからないとして、結局はフジテレビのプロモーションの力であったと分析している。なるほど、そうかもしれない。

この指摘は、実は本書を共通する視点でもある。肯定的な議論もまた、テレビの論理が映画へと進出したことを大きな成功要因だと考えているからである。続けて彼の言葉を借りれば、映画とテレビの間に確実にあった違いがなくなってしまった。それを憂うべきなのか、それとも良いことなのかが議論されているといえる。良いか悪いかは立場で違うが、本書を通じて、踊る大捜査線については共通の理解が生まれていることがわかる。

もうすぐ新作が公開される予定だが、その成否を越えて、もっと他に議論できる点を探すこともできる。歴史的な資料としての価値もあるだろう。10年後、20年後、当時の人々が何を考えたのか、改めて参照できる。

踊る監督日記 ~踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!~ 「踊る大捜査線」あの名台詞が書けたわけ (朝日新書) 踊る大捜査線に学ぶ組織論入門

2012年6月24日日曜日

教育と平等

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)
苅谷剛彦『教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)』、2009

この本は、1958年から以後の日本の教育の歴史を振り返るものである。1958年が出発点となるのは、この年に二つの重要な制度が作られたからだ。一つは「改訂版学習指導要領」、そしてもう一つは「義務教育における学級定員及び教職員標準法」(以下「標準法」と略記)である。(ちなみに、この年に東京タワーが完成したと付記されている。)

戦前も、そして戦後も、義務教育においては教育条件の地域格差が問題であった。財政力のある地域と、そうでない地域の間に、大きな学力格差があったのだ。それを、どのように埋めるかが、教育行政の大きな課題であった。1956年には、全国学力調査が行われ、地域の財政格差が得点差と相関することが明確となった。1958年の二つの制度は、いずれも教育の「標準化」を通じて、この格差を無くしていこうとするものであった。

まず、教育財政においては、教員の給料がほどんどを占める。標準法は、小中学校における学級定員の上限を定めることで、児童生徒数に応じた学級数を決め、それをもとに教職員の数を算出する。こうして、人件費部分の算出を行うのである。この決め方について疑問を持つ人は、まずは余りいないかもしれない。ところが、これは厳しい財政状況の下で、現状追認的に教育費を算定しようとするものであった。「本来であれば、他の先進国と同じように、合理的科学的に生徒1人当たりの単価費用を計算し、それに応じて生徒数を乗じて教育費の計算と配分が行われなければならないと考えられていた。」しかし、それが出来ないので、やむを得ずあくまで財政的に負担可能な数を算出できる仕組みを作ったのだ。1学級の児童・生徒数が多いのは、全く無視することにした。指導要領は、暗黙のうちに一斉授業や共通のカリキュラムを前提している。

著者は、その後の日本の教育事情を追跡する。この本では、都道府県の財政力指数と小中学生の1人当たり学校教育費の相関を、1955年から1995年まで5年ごとに調べてグラフで示している。実に驚くべき変化が、グラフに現れている。豊かな県ほど1人当たり教育費が多いという構造は、1960年代半ばにストップした。両者の関係は、1970年から1975年にかけては負の相関関係が深まり、これが1980年代半ばまで続いた。そして1990年代になると、逆相関の関係も弱まっていったのである。又、同じ事が他の指標の相関からも見て取れる。つまり、1958年に作られた二つの制度は、長年の懸案であった教育条件の地域間格差の解消をもたらしたとみることが出来るのである。全国学力調査の結果も、1960年代と2007年を比較すると、地域間格差について同じ結論を示している。

こうした歴史的経緯についての解釈は、とても面白い。政策が、明確な展望を持って設計された訳でないのに、人口減などで思わざる成功を収めたこと。一方、財政事情で一斉授業を進めたことが、日本に独特な「面の平等」をもたらしたこと。著者がこの本で示した調査によって、初めて1970年代の大きな変化が捉えられたこと。この本が明かるみに出した事実は、そこからまだまだ深い意味を汲み取ることが出来そうである。

教育の社会学 新版- 〈常識〉の問い方,見直し方 (有斐閣アルマ) 教育改革の幻想 (ちくま新書) 教えることの復権 (ちくま新書)

われらゲームの世代3

期末試験と水滸伝

自分史を語る上では、やはりいくつかのゲームソフトが欠かせない。その内容が面白かったかどうかというよりは、僕の記憶は常にゲームとともにある。ゲームを通じて物語るのも悪くない。とりあえず一文を書こうと思って何気なく書いたのがこの水滸伝であった。このゲームは本当に印象深い。いつだって思い出せる。 

今ではコーエーと社名を換えてしまったが、水滸伝はその光栄によって1990年に発売された(Wikiでみてみると、そのぐらいのころだったようだ)。歴史シミュレーションゲームの一タイプである。背景となるストーリーは文字通り水滸伝であり、僕はこのまえに、既に水滸伝を読んでいたように記憶しているが、ゲームとあわせて読むことになったのかもしれない。

僕が当時読んだ水滸伝は、吉川英治の『新・水滸伝』だった。それは多分小学校か中学校の朝の読書タイムに繰り返し読んだから、中身を良く覚えている。さらに、当時はよくわかっていなかったけれど、吉川英治の『新・水滸伝』は彼の死により未完になっている。最後に滅びゆく梁山泊は描かれず、108星が全て集い、梁山泊が完成したところで話が終わっているという点がとても印象的だった。

水滸伝という物語は、宋の徽宗皇帝時代を背景にして、北方から元(金)が侵略してくるまでの期間を描いている。中心となるのは、滅びゆく国家の内患外憂であるとともに、そうした国家に対抗する逆賊の集まり、梁山泊の活躍である。梁山泊という言葉自体、既に水滸伝を飛び出して、日常用語にもなっている。

何人か好きな人物がいるのだが、一番かっこいいと思っていたのは小李広と呼ばれた花栄である。花栄は弓の名手であり、漢の時代の名将李広の再来だと言われている。僕が高校時代に弓道部にはいったのは、花栄に憧れたからである。だいたい意思決定というものはそういうものだ。

さて、ゲームの方はというと、発売日がちょうど中学1年生の1学期期末試験の初日だった。当時はネットもないから、ゲーム雑誌を買って心待ちにしていたわけだが、残念ながら期末試験は2日間もある。初日にゲームを買ってしまうことはとても危険だった。と同時に、試験中は部活もなく、午後の早い時間にテストが終わる。初日も、2時か3時には帰宅していたと思う。この余った時間、テスト勉強をするべきか、それとも天が与えてくれたゲームの時間なのかは一考に値する問題だった。

当時の僕がどういう意思決定をしたのかは覚えていないけれど、結局初日にゲームを買いに行った。光栄のゲームソフトは値段が高い。当時はまだ、定価で売られていることが多かった。それでも少し値引きをはじめていた電気屋があり、まずは自転車でそこに向かった。名前は覚えていないし、今はもうその店はない。僕が大学生の頃に書店に変わったと記憶している。

  新・水滸伝(一) (吉川英治歴史時代文庫) 新・水滸伝(二) (吉川英治歴史時代文庫) 新・水滸伝(三) (吉川英治歴史時代文庫) 新・水滸伝(四) (吉川英治歴史時代文庫)

2012年6月23日土曜日

われらゲームの世代2

人生をリセットしたいと思うことがあるのは、僕らだけじゃない。誰だって同じ

ゲームのように人生を感じている。ただ、これは昔の新聞記事にはよくあった主張とは違う。リセットを押せばやり直せると思っているーー本当にそんなことを持っていた人がいるのかどうかは疑問だし、可能ならば(それは強く不可能であるという答えに裏打ちされた上で)リセットを押してやり直したいと思っている人は、考えてみればそもそもどの世代にだっているだろう。ビートルズのイエスタディを思い出せ。

あるいは、僕たちの世代は、本当に、リセットを押してしまうような人たちがいる、という意味だったのかもしれない。だが、これはもっと正しくない。現実問題として、そんな人は決して多くなかったからである。周りを見ても、思い切ってリセットを押してしまったよ、という人はまだいない(まあ、人間関係に恵まれている方ではあると思うが)。多分、センセーショナルなタイトルを付けたニュースに踊らされているだけである。後で少し確認してみてもいいが、例えば、ゲームが犯罪率を上げてしまうのか、それともむしろ抑制するのかについては、90年代ぐらいにいろいろ議論があったが、明確な答えは今も出ていないと思う。

僕たちは人生をゲームのように感じているかもしれないという認識は、僕の中ではもう少し別の形をとっているといった方が正しいかもしれない。すなわち、僕たちは、ゲームとともに人生を作り上げてきたのではないか。僕たちの今や未来を語るためには、そのゲームとともに語ってみるとおもしろいのではないか。ゲームのような人生というよりは、少し言い換えることになるが、ゲームとともに生きてきた世代と考えたらどうかと思うのである。

もちろん、僕たちの人生はゲームだけで成り立っていたわけでもない。そんなことはよくわかっている。ゲーム以外にも僕たちを形作る出来事がいろいろとあったし、きっとその人に固有なものもたくさんあるだろうと思う。それを否定する気はない。あくまで、ゲームはストーリーを構成する上での一つの軸である。また、その限りでは、これからの話題は僕たちの世代のもの、というよりは、僕に関連づけられた世界の出来事といった方がいい。それぞれの人生があっていい、というか、それはあたり前だと思う。

これからの文章は、基本的に自分語りである。正直に言えば、世代のために書いたというわけではなく、自分を振り返って書いたものをまとめなおしているだけだ。ただ、こうしてブログに書いてしまう以上は、誰かがそれを読むかもしれないという点には気をつけている。そのために、誰かがそれを読んだとき、何か感じることや考えることができればと思った。
同世代の方々は、そういえばこんなことあったなと思い出しながら読んでいただけるのではないかと思う。同時に、自分なりのもっと違う人生があったことを意識することもできるだろう。僕の自分語りは、ちょっと偉そうに言えば、僕たちの世代を浮き上がらせる一つの手がかりになる。他の世代の方々は、そういう世界があったのかと感じてもらえるかもしれない。さらにいえば、間もなく僕たちが社会を担う世代になったとき、どういう世界を実現することになるのか、一つの手がかりを得ることもできるかもしれない。

読み方はいろいろある。とりあえずつらつらと書き始めていこうと思う。

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2012年6月22日金曜日

われらゲームの世代1

われらゲームの世代ことはじめ

先日60代の方とお話ししていて、おもいがけず今の自分やこうしてあれやこれや書いている文章のルーツを考えることになった。やはり、文学青年だったというよりは、ゲーマーだったと言った方がしっくりくる。たくさん本を読んだ記憶もあるけれど、それ以上に真剣だったのはゲームの方だった。授業中も、いつもゲームの展開を考えていた。小学生の頃にはまっていたのは信長の野望で、誰を戦力に加え、どのように領地を広げるべきか。もう残ってはいないけれど、僕の当時のノートにはあれやこれや書込みがあったと思う。それでよく先生には怒られたけど、ノートに何を書くかは僕の自由である。

ゲームを作りたいと思っていた。それは今も変わらない。ちょっと技術が進歩し高度になりすぎてしまって、仕事も忙しくなってきて、今では到底不可能だろうけれど、シンプルなシミュレーションゲーム、ロープルレイングゲームを考えてみたい。ずっとそうしたいと思ってきたし、時々密かにシナリオを書いてみたり、プログラムを組もうと思ったりしてみた。その都度自分で確信したのは、残念ながらそういう才能はなさそうだということだった。

ゲームの力は偉大で、その力を通じて僕たちは世界を形作っていたように思う。それはゲームという仮想の空間を超えて、僕たちの現実にまで確実に力を及ぼしていた。学校で友達と遊ぼうと思えばゲームが必要だったし、ゲームをネタにして盛り上がることもできた。親や社会との接点も、ゲームをしたい/してはいけないというコードの中で捉えることができそうだ。もちろんゲームと縁のない友達もいたけれど、彼等とて、ゲームをしなかった、あるいはしたくてもできなかった友達として、僕たちの輪の中に入っている。

時代的にいえば、ゲームは一大産業を形成し、やがて僕たちは経済についてもゲームで学んだ。中古品が登場し、自分たちが買ったゲームソフトもまた、売ることができることに気づいた。ネットのない時代、価格は統制されておらず、せどりが様々な形で可能だった。

別に僕は、ここで昔を懐かしもうというつもりはない。いや、正確にいえば、少しはあるかもしれないが、だからといってその昔の記憶に浸りたい、現実を逃避したいというわけではない。時々昔を懐かしむのは良いことだが、それを美化しても仕方がない。僕たちは今に生きている。思い立ってこうして書き始めたのは、僕たちのゲームの時代を通して、今の僕たちが何を考え、またなにをなすべきか(そこまで強い当為はない)を考えられるような気がしたからである。

この文章は、そういう意味でまずは僕たちの世代に向けて書かれている。僕が1970年代後半生まれだから、だいたい現在の30代ということになるだろう。そういえばある方達からは、僕たちはロスジェネ世代(ロスト・ジェネレーション)だと聞いた。良い言葉だと思う。僕たちの世代は、多分上と下に挟まれて、実際的に失われている気がする。そういえば、僕たちの一つ下の世代の方が、先に頭角を現して00世代などといわれていたような気もする(正確な意味は知らない)。

けれども、僕たちはよくも悪くもこうして存在してしまっていて、確実に年を取りつつある。大卒で入社していればすでに10年戦士を超えた。そろそろ中堅と呼ばれるようにもなり、責任ある仕事にもつき始めるころだろう。転職を考え始めて、実際に新しい生活をはじめる頃かもしれない。ロスジェネだろうが何だろうが、確実に僕たちは何かをなしつつあるし、また、なさなさねばならない状況になりつつある。ちょっとここで考えてみるのは悪くないはずだ。

以下ではとりとめもなく、僕たち(より正確には、僕個人)の過去を思い出しながら、改めてそれを今に関連づけていこうと思う。一つの鍵となるのは、ゲームの存在である。僕たちは、自分たちの人生をもしかしたらゲームのように感じているかもしれない。その意味でもゲームの世代だ。失われてしまうような世代というのも、要するにそれがゲームみたいなものだからかもしれない。

  ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1) ロスジェネの逆襲 ロストジェネレーションの逆襲 (朝日新書 77)

2012年6月21日木曜日

中国化する日本

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史
 與那覇潤『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』文芸春秋、2011

これまで当たり前だと思われてきた歴史観がずいぶんと覆されつつある。こうした傾向は以前からあったともいえるが、近年、特にその傾向が著しいようにみえる。本書は、こうした新しい歴史観、著者によれば、歴史研究者の間ではすでに通説となりつつあるという視点に基づき、日本の歴史を問い直している。その試みは大変興味深く、また面白い。今後日本が何をなすべきかという点についても、新しい視座を提供している。

  本書によれば、西洋中心の歴史史観はすでに崩れており、今日では、最も先に近代化を果たしたのは中国、それも宋代の出来事であったと考えられている。科挙の徹底による貴族階級の相対化と専制君主制度の確立、同時に、一般庶民についても職能に縛り付けられた身分制を取りやめ、自由な商業を奨励したというわけである。さらに、こうした思想を中華思想という普遍的なものとして取り扱うことで、他国や異民族を分け隔てなく取り込むグローバリズムを完成させた(だからこそ、元も清も成立できた)。ヨーロッパやアメリカの歴史は、こうした中国の近代化を遅れて実現しつつあるのであり、日本もまた同様である。

  だが一方で、中国の近代化の対局に位置づけられるのが、日本でもある。日本では、唐代までは中国に学んだが、宋代の革新については学ぶことができなかった。平清盛や後醍醐天皇といった例外的な支持者はいたものの、いずれも土地所有に結びつく安定的な貴族制度と身分制度の前に敗れ去ったという。そして、日本では究極的な仕組みとして江戸時代が訪れる。イエやムラに縛り付けられながらも同時に守られた社会制度は、米の収穫量増大にも支えられて未曾有の成功を果たす。その成功体験を引きずったまま、その後明治維新や戦後を経てもなお、日本は依然として江戸時代の仕組みを維持し、場合によっては中国の近代化を部分的に取り入れようとして中途半端になり、より混乱の状況を増してきたのだとみる。

  こうした展開は、日本がいわゆるアメリカ型のグローバリズムに取り残され、ガラパゴス化しているとみる主張にほぼ同じであるようにみえる。だが一つに異なるのは、こうした傾向は、アメリカではなく、中国との関係においてこそみる事ができるという点であろうか。このことは、中国と日本の関係を捉え直し、中国を資本主義の後進国と見なすのではなく、むしろ近代化の先進国であり、特にグローバリズムの旗手であったことを再発見させることにより、今日の問題の多くが、歴史的にすでに起こっており、また当然起こるものと想定されてきた出来事であったことを提示する。そして、我々がその歴史を学ぶことの重要性を喚起させることになる。

翻訳の政治学 近代東アジアの形成と日琉関係の変容 帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史 30ポイントで理解する世界史の新しい読み方―脱「ヨーロッパ中心史観」で考えよう (PHP文庫)

2012年6月18日月曜日

14歳からの社会学

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に
  宮台真司『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』世界文化社、2008

この本は「14歳からの」となっているが、中・高校生向きの本かというと、ちょっと違う。しかし、優秀な中・高校生向きとは言えるかもしれない。そもそも著者は、自身の現在の立場は、眼前の衆愚政治に対する、卓越的リベラリズムであると言う。そして、明確に次のように主張している。「多くの人が幸せになれるルールを考えることがエリートの幸せだ。大衆は、専門的なことはエリートに任せて、それぞれ幸せになる道を考えればいい。」これからのエリートにとって、何が課題で、どんな資質が必要かも書かれている。
なるほど、と納得する中高校生は、多分少ないだろう。第一に、この本に書かれた、自由と尊厳、生と死、歴史と意思、社会と世界など、彼らがこの本だけで理解するのはとても困難だろう。別の意味で理解が難しいのは、「みんな仲良し」が最早無理だという主張である。この本でも書かれているように、日本では「みんな仲良し」が、学校では特に強調されてきた。この本を危険視する教員も、中には出てくるかもしれない。しかし、確かにこうした議論を理解する中高校生は一定数いて、著者が彼らに向けて書いている(つまりエリート教育?)ということかもしれない。

しかし、この本は限定販売ではなくて、誰でも購入できるし誰でも読むことは出来る。更に、中高生で理解出来る生徒は限られると思うが、大学生や大人になれば、遙かに理解力は増す。14歳でなくても、これからの社会を生きる人なら誰でも、この本は役立つと思う。例えば、社会で生きることは他者と関わる事だ。その際、人が他者に対して自由に振る舞うためには尊厳が必要だ、と著者は言う。尊厳とは、他者から承認されること、すると仮に失敗しても大丈夫と思うことが出来、さらに試行錯誤をすることで成長、それを他者が承認し、という循環が大切だと言う。こうした理解を踏まえて、著者は、最近の若者の就職問題、恋愛・結婚問題について、実に適切なアドバイスをしている。著者の書き方は、自身の豊かな体験を織り込んでいて、説得力がある。

本の構成も、工夫されていると思う。本の冒頭では、社会がここ40年で如何に変わったかを示す写真が二枚示される。1959年と2000年の、東京・中野東駅近くの、同じ場所、同じ時刻、同じ人による撮影だ。その変化の内容・意味が、実に印象的である。一方で、本の最終章は、「SF作品を社会学する」として、SF作家のバラードの考えを軸に、いくつかの作品が紹介されている。安部公房の作品や、「風の谷のナウシカ」も取り上げられる。過去と、それから未来にさしかけられたこの今を如何に生きるか、ということだろう。この本に触発されて、色んな方向に踏み出す人が、中高生に限らずきっといるのだろうと想像する。

希望の国のエクソダス (文春文庫) 壁 (新潮文庫) 風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)

2012年6月17日日曜日

働かないアリには意義がある

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)
長谷川英祐『働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)』、2010。 

アリを中心とした生物の社会を考察することを通じて、人間の社会のありかたを考えた一冊である。アリが女王アリを中心として働きアリや兵隊アリのような階層をつくりあげることはよく知られているが、その中での複雑な仕組みはあまり知られていない。とても興味深い。

 面白かったのは、例えば次の下り。兵隊アリは、通常日常業務はせずに働きアリに任せている。しかし、働きアリの数が一定数を割り込むと、働きアリの代わりに日常業務をし始めるという。その仕組みを支えるのは、兵隊アリは働きアリに出会うとその場所を離れるというシンプルな性質である。通常は仕事場にたくさんの働きアリがいる。兵隊アリは自身の性質により、仕事場に入れないというわけである。単純な性質だが、それで社会がうまく回る。分業の仕組みが成り立つし、もしもの緊急対応もできる。 

こうしたアリの社会と僕たちの社会がどの程度同じものであると見なせるのか、という点については、まだまだわからないところも多いという。けれども、人間だけが特別な社会を有しているというわけでもなさそうだ。アリの社会にも働かないアリはいるし、裏切るアリもいる。それぞれに意味があり、社会を支え、遺伝子を伝える役割を担う。 

にしても、どうして生物は遺伝子を伝えねばならないのだろうか。僕たちは遺伝子の器にすぎないとして、では、当の遺伝子とはいったい何なのだろう。彼らは何をなそうとする存在なのか。それこそが神であるといってしまいそうにもなるけれど、もう少し別の説明も考えてみたい。

  ダーウィン以来―進化論への招待 (ハヤカワ文庫NF) 利己的な遺伝子 <増補新装版> 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

2012年6月13日水曜日

mac wordのデフォルトの書式設定変更

備忘録がてら。 windowsからmacに換えて一年ぐらい経つ。 たいして不便も感じなくなったが、そういえばwordの書式が違っている点はちょっと気になっていた。 windowsの場合、wordは10.5ptのフォントサイズで、行数は35ぐらいあるように思う。 これに対してmac wordの場合、フォントサイズは12pt、行数は32ぐらいだった。 いつでも直すのは簡単なのだが、 気づかずにあとであれ?となることも多い。 デフォルトの書式を変更できた方が便利だということに気づいた。 検索したらすぐに見つかった


既定の Word for Mac での書式を変更する方法



実質コピペだが、確認しておく。

1.[書式] メニューの [フォント] をクリック。

2. 必要な変更を行う。

3.左下に表示されるであろう「既定値」をクリック

4.「この変更は、標準テンプレートに基づいてすべての新しい文書に影響します。」とでるので、構わずOK。

5.余白、ページ サイズ、用紙の向きなど 既定のページの特性等についても同様(この場合は「[書式] メニューの [ドキュメント] をクリック」

ひとまずこれでうまくいったようだ。

Microsoft Office for Mac Home and Student 2011 1パック [ダウンロード] Apple Design 1997-2011 日本語版 -ハードカバー- Apple Magic Trackpad MC380J/A